[コラム] モケーレムベンベ井澤聖一の「豆腐のかど」(2013/07)


おつけもの新時代の幕開けである。


美味いものの歴史は、先人達の果てしなき試行錯誤の歴史であるからして、つまりは不味いものの歴史でもある。
現代まで残った、いわゆる定番レシピのかげには、その何倍もの失敗作があったということは想像に難くない。

それが近年では、スーパーマーケットの棚を見やれば、やれ「〇〇の素」やれ「××の素」と、
かけるだけ、混ぜるだけ、漬けるだけ。手軽にあの料理がお楽しみいただけます。なんて体たらく。
いかんぞ、こんなことではいかん。

発酵食品を作ろうとして、腹を壊した者もおろう。
ふぐの内蔵を食って命を落とした者もおろう。
先人達の数多の失敗の上に立つ我々が次の世代に渡すべきものは、「かけるだけ、混ぜるだけ、漬けるだけ」であったか。
我々が受け継いだものは、果たしてただのレシピであったか。
失敗を恐れず、新たなものを生み出すその心意気ではなかったか。

気づけば手に取っていたのは、浅漬けの素であった。
材料を切って、30〜40分程漬けるだけで、美味しい浅漬けが出来上がるという。

よかろう。漬けてやろうではないかエバラ食品よ。
このわしが大根やきゅうりばかり漬けるものと思うなよ。
そして先人達の心意気を次の世代へ。

おつけもの新時代の幕開けである。


てなわけで、ちょっと色々と漬けてみましたので、ご紹介しますね。
よろしくどうぞ。



まずは、木綿豆腐。

厚めの短冊状にして漬けたのやけども、これ、ただの塩辛い豆腐であった。失敗。



続いて、チーズ。

これも、ただの塩辛いチーズであった。失敗。



続いては、かまぼこ。

先の二つに比べれば無しではないが、やはり、塩辛いかまぼこに過ぎない。失敗。
いかん。このままでは敗色濃厚である。



起死回生の秘策として取り出したのは、ゆでたまご。

醤油だれに漬け込んだ煮卵という例もある。
これならばもしや、と思ったが、
これも塩辛くなっただけである。
ゆでたまごに塩をかけて食うのと大差はなかった。失敗。



いや、ええのよ。
失敗するのは全然よい。

しかし、同じ系統の失敗が続くのは、なんとも、心が折れそうになるものである。
試行錯誤とは、かくもしょっぱいものであろうか。




いよいよ最後の砦。

日本広しといえども、拙者の他にこれを漬ける者はおるまい。

しば漬け。

しば漬けの浅漬けである。


禁断の二度漬け。果たしてそのお味は、





すこし塩辛い、しば漬け、であった。








おつけもの新時代、幕、開けずして、寺田町は午後11時。

胃袋一杯のやるせなさを抱え、ふらふらと町を歩けば、

近所のスナックから漏れ聞こえるおっさんの歌声。

なんの歌だか知らんが「ザッツオーライ」「ザッツオーライ」と繰り返すその声に、

いささか摂りすぎた塩分が、目尻から排出されたよ。


受け継いだものはレシピではなく、失敗を恐れず、新たなものを生み出すその心意気である。

ザッツオーライ。


君も、その手でおつけもの新時代の幕、開けてみないか。



開けんね。ごめんよ。