[コラム] モケーレムベンベ井澤聖一の「豆腐のかど」(2015/05)


わき毛の季節がやってきた。

涼しい時期はずいぶん短かった。
買ったばかりの薄手の長袖は、早くも押入れに眠った。
かわりに、自前の、厚手の長袖が目覚めた。

はじめましての方はなんのこっちゃわかるまい。ご説明しよう。

拙者、なにを隠そう、わき毛が非常に濃いのであって、
半袖の時期になると、Tシャツ一枚であるにもかかわらず、袖からごっそりレイヤードするのである。

なもんで、去年もコラムに書いたとおり、
やむなく夜な夜なフレディ・マーキュリーになりきり、
どんすとっぷみーなう、どんすとっぷみーなう、と舞い踊るも、ただただ隣人が壁を叩くばかり。そらそうか。すまん。
しかし、こればかりは止められぬ。なんせ「どんすとっぷみーなう」であるからして。
どんすとっぷみーなう、 ドン!(壁)  どんすとっぷみーなう、 ドン!(壁)
ああ、すまぬ隣人よ、ひと夏の辛抱だ。毎日続けるうちに次第にグルーヴィーに、
どんすとドンどんすとドンどんすと、のリズムで暮れ行く夏。

今年も例によって、悪い病気が騒ぎ出し、
夜な夜な、どんすとっぷみーなう、どんすとっぷみーなう。
ひとしきり舞い終え、通販であのアマレスのユニフォームのようなピッチピチの衣装をカートに入れ、いざ注文確定! という段でふと我に返る。
壁を叩く音が、聞こえない。夏を告げるビートが、味気ない。

そうか、それもそのはず。壁の向こうには,今はもう誰もいないのだ。

隣人は、ついこの間、行方をくらませたのであった。



えー、今回はここ最近で一番のすっきりせん体験の話です。
けっこう長いのに最後まで読んでも全然すっきりしないぜ! ウォーニンッ!






ピンポピンポーン。

インターホンが雑に鳴る。夕方6時。

来客の予定はないし、鳴らし方からしてたぶんNHKとかでもない。
なんじゃろ、と思ってる間に、また鳴る。ピンポピンポーン。

ドアスコープを覗くと、知らない若い女性が立っている。長めの茶髪。今時っぽい服装。
宗教の勧誘やセールスでもなさそうだ。とりあえず出てみる。


「あの、突然すいません。隣の家の人って、最近帰ってきてますか?」


なんやら変な話の予感である。

「たぶん帰ってきてると思いますが。ちょいちょい音きこえてたんで。」

「そうですか。昨日はどうだったかわかります?」

「えー、いや、ふだんあんま隣のこと意識しないんで、昨日いたかって聞かれると、ちょっと自信ないですね。」

「なんかちょっとでも物音聞こえたとか。思い出せないですか?」

「いや、最近帰ってきてるのは間違いないんですけど。絶対昨日いたかってなるとちょっと……」

「そうですか。そうですよねー。昨日帰ってるならいいんだけど……」


えー、気になりますね。気になりますとも。
理由は話しにくそうな雰囲気だったけども、むろん聞きました。

「あれですか、なんか訳ありなやつですか。」


女性、ずいぶん言いよどみながら、しかしまあ、仕方あるまいといった感じで、


「ええと、じつは私、」

はいはい、

「隣の人に、」

ふむ、隣の人に?


「ストーカーされてるんです。」



なんと。

隣人よ。きみもよそでは、どんすとっぷみーしておったか。


なんでもその女性、このところうちの隣人にずっとストーカーされており、
警察とも相談し、訴訟を起こすかどうか、みたいな話になっていたそうな。
で、いざ訴訟、覚悟せよ、となったとたんに逃げられた、というのが昨日とのことであった。
家知ってるってことは、元彼か、職場の人かなにかであろうか。

「あの、もしよかったら、連絡先教えるんで、隣の人帰ってきたら電話もらえませんか?」

「ええ、まあそういうことなら。わかりました。」

「変なこと頼んですいません。ここの人に教えてもらったとか、絶対言わないんで。」

「あーいえいえ。いやーしかし、まさか隣がそんな人だったとは。」

「気持ち悪いですよね。なんか換気扇覗かれたり、電話かかってきたりするんですよ。」


ふむ、つまり、夕食を作っていると換気扇からもれる匂いを外でかがれており、
メニューが、さばの塩焼きや、筍ご飯や、かぼちゃの煮つけなどだった日の夜中に電話がかかってきて、
一言、「おつだね……。」とだけ言って切れる、新手のストーカーであるな。

これをやられた女性は、次第にノイローゼになり、
ハンバーガーやコンビニ弁当ばかりを食べるようになり、どんどん体型が崩れていき、
ストーカーが興味をなくすほど太りきるまで解放してもらえないという。
おそるべし、怪人おつだねおじさん。

女性の体型を見るに、まださほど被害は大きくないようだが、
いやいや、かといって許せることではあるまい。よし。わしに任せなさい。


次の日からはじまった、題して「おつだねおじさん捕獲大作戦」
といっても内容はいたってシンプル。ただ隣を気にしながら生活するだけであるが。

家に帰ればまず耳を澄ませる。壁に耳を当ててみたりする。
部屋にいて、外から階段を上る足音がすれば、すぐにドアスコープを覗く。
残念。向かいの部屋のおっちゃんの帰宅であった。その日は隣人帰らず。

そんな日がしばらく続いた。
ストーカーのストーカーもなんだか板についてきた。

相変わらず帰ればまず耳を澄ませる。物音聞こえず。
階段の音が聞こえたらドアスコープを覗く。向かいの部屋のおっちゃんの帰宅。隣人帰らず。

帰る。耳を澄ませる。物音聞こえず。スコープ覗く。向かいのおっちゃん帰宅。隣人帰らず。

帰る。耳を澄ませる。物音聞こえず。スコープ覗く。向かいのおっちゃん帰宅。隣人帰らず。

気づけば10日ほどが経過。隣人、一度も帰らず。
いまだに逃げ続けているのか。それか女性の側で何か手を打って、すでに捕まっているのか。
とりあえず一度電話してみることにした。

「あ、どうも、井澤です。あの、隣の。 どうやら一度も帰ってないみたいなんですが、あれからそちらでなんか話進んでますか?」

「それが、警察の人に調べてもらったんですが、なんか部屋の名義が違う人になってるらしくて……
なんか色々ややこしくて、ぜんぜんわからないんです。どうしたらいいんですかね。」

うむ。それはわしにもぜんぜんわからんぜ、お嬢さん。

とはいえ、なんせ隣の部屋のことであるから、気になってしゃーない。
とりあえず打つ手なく、こちらからの連絡待ちとのことであった。よかろう、また連絡しましょう。

しかし、名義が違うってのはどういうことじゃろ? 人違い? 
それか、実は全部嘘で、ただの妄想癖の変な女の人なのか?
だが事実、あの日以来一度も帰らない隣人。

もしや、逆に女の人のほうがストーカーで、隣人のほうが逃げてる?
ストーカーがあまりにしつこいので、友達のところ、つまり隣の部屋、に泊めてもらってたのだが、
こないだついにばれてしまい、今そこからさらに逃げている。
つまり、怪人おつだねおじさんではなく、怪人おつだね女であったと。

いや、面白い説ではあるが、可能性は低かろう。
それだと、もともとの隣の住人までいっしょに逃げていることになるし、
なにより、最初にストーカーの話をしたときの女性のセリフ。
とても自然にでてきた、「気持ち悪いですよね。」

あ、これ、本気で嫌悪してるやつだ。できれば一瞬たりともかかわりたくないと思ってるやつだ。
すごい。こわい。絶対女の人に言われたくない、と思った。
あの感じは、たぶん嘘ではない。なぜわかるかって?
わしも、中学ぐらいまでは、ずいぶん言われてたからさ。うふふ。

えー、

てことは、どういうことだ?

わからん。 

わからんが、たぶん隣の人がストーカーっぽい気がするので、もし帰ってきたら連絡だ。よし。


かくして、おつだねおじさん捕獲大作戦、続行。

ストーカーのストーカーは、もうすっかり生活の一部であった。

帰る。耳を澄ませる。物音聞こえず。スコープ覗く。向かいのおっちゃん帰宅。隣人帰らず。

帰る。耳を澄ませる。物音聞こえず。スコープ覗く。向かいのおっちゃん帰宅。隣人帰らず。

また10日ほどが過ぎた。

事件が起きたのは、ある朝のこと。
捕獲されたのは、おつだねおじさんではなく、意外な獲物だった。

ドン、バタバタ、ドン、 ドン、バタバタ、ドン。
ベランダからの音で目が覚めた。
聞き覚えのある音。一瞬で理解する。鳩である。

うちのマンションのあたりは、なんでか非常に鳩が多い。
せっかく洗った洗濯物にふんなどされてはたまらんので、ベランダは、全部屋それぞれ鳩よけのネットで、それはもう完璧に覆われている。
だが、完璧であるがゆえの問題点。
仮に、そのネットの端に、結びが緩むなどして小さい隙間ができると、どうなるか。

鳩は、こりゃいいぜ、うひょう、なんて入ってくるものの、
なんせやつら、かしこいようでまあまあアホである。

あれ、なんこれ、出口がない! オー、なんてこった、罠か!
このままではここで死を待つのみ! かくなるうえは、どりゃー!!

なんつって暴れまわり、壁に、ネットに、体当たりしまくるのである。
当然壁は破れんし、ネットも鳩よけ用の頑丈なもので、びくともしない。
そして、ベランダ中に散らばる、鳩のふん、ふん、ふん。
鳩は基本的におなかゆるゆるなので、何かにぶつかるたびにふんをもらす。

以前にも一度、同じように鳩が侵入し、えらい苦労をしたことがあった。
たかが鳩と侮るなかれ。そこそこ都会の大阪にあって、めったに出くわすことのない、
「これはやばい! 生命の危機だ!!」 となった状態の動物。
これ、超こわい。ほんとに。
その時は拙者、あまりに動揺し、ええと、鳩に効くもの鳩に効くもの……と、
気づけばスマートフォンに「豆鉄砲 amazon」の文字を打ち込んでいた。違いますね。ええ。

しかし、なぜあの悪夢が再び起こったのか。
どうにか鳩を追い出した後、二度と緩まんようにと、ぎちぎちに結びなおし、結束バンド
で固定までしたはずである。

見てみれば、うちのネットは変わらず完璧。
しかし、隣の部屋のほうのネットが緩んでいる。そしてベランダは隣とつながっている。
もちろん真ん中に仕切りの壁はあるものの、その壁の上には、ちょうど鳩が通れるぐらいの隙間があるのであった。
なんてこった、これでは、いかにうちの方を完璧にしたとこで、全く無駄ではないか。
むこうの緩みを直そうにも、壁のせいで届かんし、
壁の上の隙間をふさごうにも、ネットを結べるところがないし、
むこう側から直してもらおうにも、隣人は全く帰ってこないし。


ということは、つまり、
隣人が帰ってきてネットを直してくれない限り、うちのベランダに鳩が入りつづけるではないか!
ああ、なんてことだ、これは困った。そう、これは、困った。
マンション暮らしで困ったら、やることは決まっている。
ベランダはふんまみれだ。そして原因は隣にある。つまり、

隣人が、帰ってきて、ネットを直してくれない限り、うちのベランダに鳩が入りつづけるではないか! ひゃっほう!!



えーもしもし、すみません。
えー、マーキュリー天王寺305号室をお借りしてます、井澤です。えー、どうも。
あの、じつはベランダに鳩が入って、非常に困っておるのですが。
どうも、隣の部屋のネットが緩んでいるようで。で、なんとかしてくれ、と言いたいのですが、
どうもこのところ、隣の人、帰ってないようなんです。
ええ、それで、すみませんが、連絡を取っていただけないでしょうか。
忙しいかもしれませんが、一度帰ってきて、ネットを直してもらわんことには困る、ということで。ええ。
だいたいいつごろ帰れそうか聞いといていただけると助かります。なんせとても困っているもので。ええ。よろしくおねがいします。



なにやらそわそわ、連絡を待ちつつ、いつもの生活を続ける俺。


帰る。耳を澄ませる。物音聞こえず。スコープ覗く。向かいのおっちゃん帰宅。隣人帰らず。

ベランダに鳩。管理会社からの連絡なし。

帰る。耳を澄ませる。物音聞こえず。スコープ覗く。向かいのおっちゃん帰宅。隣人帰らず。

ベランダに鳩。管理会社からの連絡なし。




そして、おつだねおじさん捕獲大作戦はある日突然に終了する。

電話から、10日が過ぎた。管理会社、ちょいと待たせすぎである。

帰宅し、いつものように部屋に入ろうと鍵を取り出しながら、
そろそろもっかい電話してみるかなー、今日も帰ってこんかなー、と、ふと隣の入り口を見る。

この一月ほどずっとうっすらと考えていた、最悪の事態がそこにはあった。
昨日までは、たしかになかった、外側から設置された、番号式の鍵。 
これは、空いた部屋に勝手に人が入らんように、管理会社が設置するものである。
つまり、隣人はおそらくこの数日のうちに、正式に手続きをして退居したのであった。

電話の影響か、たまたまそのタイミングだったのかはわからん。
とにかく、これをもって全ては終了。
ベランダの鳩の件もこれで管理会社が直接入れるだろうから解決。
それに、うちが何かされたことはないとは言えど、隣にストーカーをするような輩が住んでいるという心配、それも解決。
被害者の女性には悪いが、もともとうちは関係ないし、面倒事には首を突っ込まぬが吉。
万事解決。イッツオーライ。

しかし。しかしよ。

気になる。気になるに決まっておる。


残された最後の頼みの綱。女性の電話番号。
可能性は低いだろう。だが、むこうで何か進展はないか。なにか手を打ってはいないか。
むこうとしてはあまり突っ込んで聞かれたくないだろうが、電話する理由はある。
隣の人が退居したようです、てのは報告しなければなるまい。
そして、あれからどうですか? どうなりました? 自然に聞けるだろう。
これが最後のチャンスだ。隣にいない以上、こちらから電話する理由はもうない。

興味本位ですまん。しかし、気になるのだ。
何か聞きだせるか。それとも、結局何の進展もなかったか。


意を決して、電話をかける。








「おかけになった番号は、現在、使われておりません。番号をお確かめの上……」





…………





んんんんんんんッ!!




ってなりません? なりましたとも。
しかし、事実は、ザッツ・オール。 

なにもかもがわからぬまま、結局この一ヶ月ばかりずっと隣人を待ち続けた拙者に残されたものは、
頭いっぱいのもやもやと、ベランダいっぱいの鳩のふんと、
そして、向かいのおっちゃんは毎日必ず7時過ぎに帰ってくるという、この上なくどうでもいい情報だけであったよ。





それから一月ほどがたった。



今年の涼しい時期はずいぶん短かった。
買ったばかりの薄手の長袖は、早くも押入れに眠った。

そして、わき毛の季節がやってきた。

今年も例によって、悪い病気が騒ぎ出し、
やむなく夜な夜なフレディ・マーキュリーになりきり、どんすとっぷみーなう、どんすとっぷみーなう。

壁を叩く音は、聞こえない。夏を告げるビートが、味気ない。


いまさらじゃけどもさ、隣人ストーカー氏よ、なんでそうなったかな。
関係はないけど、わしはなんかすっきりせんよ。

自分も中学ぐらいまでだいたいの女性に「気持ち悪い。」と言われてた身。
なんだかね、他人事とは、いやぜんぜん思えるけども、完全に他人やけども。

俺、「気持ち悪い奴」から、「ロックを聴く気持ち悪い奴」になって、
そのうちに「歌う気持ち悪い奴」になって、なんだかちょっと友達ができた。
年頃の娘さんともわりと普通に話せるようになった。嘘だ。すまん。かなりたどたどしい。でもたぶん嫌われてはないと思う。

ストーカー氏よ、なんかしらのミラクルで万が一これを読んでおったら、ロック音楽でも聴いてみたらどうかね。
有名どころからあさっていけば、ほどなく、隣室から毎夜響いたあのメロディーに再会するであろう。

さて、果たしてきみはその時、全身を突き動かすあの衝動を抑えられるかな?
歌うかね? 歌うがいいさ。


どんすとっぷみーなう、どんすとっぷみーなう。

どんすとっぷみーなう、どんすとっぷみーなう。



おっと、だが残念ながら、


あの衣装はもう売り切れだぜ。一足遅かったな同志よ。



てなことを申しまして、

これにて、ここ最近で一番のすっきりせん話、おひらきであります。
読んでてもすっきりせんかったであろう。うふふ。




しかし、思い返せば我ながら、ちょっと危なっかしいことをしてたもんである。
皆は面倒事にはなるべく首を突っ込まんように。

そして、もし、おつだねおじさん、もとい、ストーカー被害にあった場合、
または、アマレスのユニフォームのようなピッチピチの衣装を着て、なにやら歌を歌っているわき毛の濃い男性に遭遇した場合には、迷わず通報するように。

よろしくどうぞ。