[コラム] モケーレムベンベ井澤聖一の「豆腐のかど」(2014/02)


2月の3日で、28歳になりました。

なんでも ロックの天才は27歳で死ぬとか言うそうで。
そら、ないとは思うけども、いや、ないとは思うけどもやで、
万が一にも死んだらかなんな、うふふ、なんて、こっそりうっすら懸念しておったものの、全くもって無事そのものであったよ。

鉄分のサプリ、続けてたおかげかしらね。




えー、

ラウンドヘッドが解散しますね。





それなりに歳をとって、
それなりに長くバンドをやって、


なんやら、まわりのバンドの解散や、メンバー脱退にちょっとだけ慣れてしまったようで


あー、そうか、

あー、

そうかー。


てな感じで、なんだか、落ち着いた心持ちでいます。



昔に比べて、あまり物事に動じなくなるってのは、
成長しているのか、鈍くなっているのか、わからんけども、
なんせ、いろんなことに慣れていきますね。



昔、ばあちゃんが亡くなった時より、2年後ぐらいにじいちゃんが亡くなった時の方が、悲しくはあれども、正直ショックで言うたら小さくて、

わりと、あー、その時が来たか、ってな感じでおった。
なんてことを思い出したり。


お別れに慣れるのは、寂しいもんでもあります。



思い出などもそれなりにありますけれども、
あまり長々と語るものでもなかろーて、
悲しいけれども、なるべく糧にして、俺は自分のやることをやるのだ、

なんて、まだ終わる前からそこそこきれいにまとめてしまえるのが、成長というものであるのやろか。

今んとこはようわかりません。

理にかなった考え方ばかりをしていると、時々なんだか疲れてしまいますね。



最後のライブは4月4日で、たぶん、春の気温やらなんやらが気持ちいい頃で、
俺が高校生ぐらいやったら、ひとつ、「始まりの場所」かなんか、そんな感じのタイトルの曲でもこしらえて持って行きたいような季節ですが、
どうにもそんな気分になれんのは歳のせいかしら。
そもそもの人間性の問題かしら。




ある程度の年齢になると、若さやら青春の惰性を使い切ってしまって、
動き始める、ということに、けっこうなパワーを要するようになります。

それこそ、ふつうに立ち上がるのさえ、よっこいしょ、なんて言わんとやれんぐらいのもんです。

よっこいしょっつって動き出すと、今度は止まるのにけっこうなパワーを要するようになります。

そん中で、皆、よっこいしょ、よっこいしょ言いながら、それぞれの暮らしを選んでおって、


ぼちぼち俺も、よっこいしょ一味に加わるお年頃であって、


よっこいしょ、よっこいしょ言いながら、我々と、かのナイスなおっちゃんらと、これまたナイスなおっちゃんらと、東京からのまたまたナイスなおっちゃんらの選んだ暮らしが、
いい感じの春頃に、こう、いい具合にクロスするのでありますから、

それはまあ、いい日なのだろうし、
そこからまたそれぞれに選んで行く暮らしも、なんとなくうまい具合にキマるのではないかという、漠然とした予感がありますよね、ええ、ありますよ。

お別れにも慣れた分、落ち込んで放心しとったような時間を、また動き出す時間に使えたら、
俺にもそれなりに歳とった意味があるんやないかな。







さてさて、



長々と寝転びつつ、スマートフォンにてコラムを書いておった俺、

しからばきたる日に備えて練習あるのみよ、と意気込み、
よっこいしょ、と立ち上がれば、たちまちくらむ貧弱ばでぃ。

1日2錠の鉄分でなんぼか気持ちをごまかしつつ、
ぽよんぽよんの脚を相対的にタイトなジーンズにねじ込み、
たたかうばでぃじゃけえの、わし、たたかうばでぃじゃけえの、などとと嘯きつつ、スタジオに向えば、

せいぜいよっこいしょの一言を要するぐらいで、これからの俺も、たぶんまだまだやれるんじゃないかと思うたよ。

全てのたたかうばでぃの中年に幸あれ、という感じでまとめさせていただきまして、今回はこれにて。御免。