[コラム] モケーレムベンベ井澤聖一の「豆腐のかど」(2015/03)
アヒージョって、いいよね。
なにがって、むろん響きが。
流行っていながらややもさい。
しゃれおつながらも憎めない。
この感じ。わかるかね。
学校で、職場で、はたまたライブハウスなんかで、
むむ、臭うぞ貴様、さてはにんにくを食ったな。
となった時、
「いやあ、すまんすまん。
昨晩寄ったラーメン屋で、ついついトッピングににんにくを。」
と答えれば、これ有罪。
即座に白い目の檻にぶち込まれる。
ところがどうかね、
「いやあ、すまんすまん。
昨晩寄った飲み屋で、ついついつまみにアヒージョを。」
と答えれば、
アヒージョ、美味しいよねー。どこの店?
となり、無罪放免。
なんなら年頃の娘さんとのデートのきっかけとなるであろう。
不思議なもんで、これが「ムラーノ・ドゥ・ボルワール」とかだと、やかましわ、実家帰れ。となる。
まったく語感って大事だ。
適度な隙。愛され語感、アヒージョ。
なんかスペインのサッカー少年みたいじゃないか。
小2ぐらいで、年相応に生意気だけどいいやつで、たぶん天パのすきっ歯で、
将来の夢はもちろんスペインいちのスーパープレイヤーだ。
いけるぜ、頑張れアヒージョ。
『さいごのスーパープレイ』
絶対的な才能の差、っていうのかい。
あるもんだね。
あたしはサッカーのことはよくわからないけど、
アヒージョを見ていて、思ったよ。
あるもんだね、絶対的な才能の差。
仕事がひと段落して故郷に帰ってきた時、孫のアヒージョは7歳だった。
子供の頃の息子にそっくりでね。
栗色の天然パーマで、すきっ歯で、言うことがいちいち生意気で、
部屋には地元のクラブのエースのポスター。
30年前に戻ったかと思ったよ。違うのはポスターの選手の名前だけさ。
有名なサッカークラブがあるからね。
この町の子供は今も昔もみんな似たようなことを言う。
「あと15年したら、アヒージョって選手のポスターがみんなの部屋にはられるんだ。」
息子も昔はもちろん同じようなセリフを吐いて、
大半の子供達がそうするように、ただのサッカーファンの大人になった。
息子はチビでね。とてもスポーツ選手になれるような体格じゃなかった。
そして、アヒージョは体格まで息子にそっくりだった。
いい天気の日だったよ。夏にはまだ早いけど、ずいぶん暑かった。
本当はあんまり乗り気じゃなかったんだよ。
初めて試合に出るから、観に来てくれって言われてさ。
でも、かわいい孫の頼みだからね。
その日、アヒージョは最初から出てきて、
ミッドフィルダーっていうのかね、
真ん中らへんのポジション。
緊張してるんだろうね、ずっとキョロキョロしてたよ。
こぼれ球を拾うと、いっそうキョロキョロして、すぐパスしちまうんだ。
ああ、だめだな、そのうち交代か、なんて思ったけど、アヒージョは最後まで出てた。
他の選手はみんなアヒージョよりひとまわり大きくて、
上手かどうかはよくわからなかったけど、積極的だった。
ひとりでドリブルで突破しようとしたり、
かなり遠い位置からでもシュートを打ったり、
みんな派手なプレイに憧れる年頃なんだろうね、最後の方でオーバーヘッドキックを狙った子もいて、それが見事に成功。
スーパープレイだったね。
試合は3-1でアヒージョのチームの勝ち。
強いチームなんだろうね。特に後半はペースを掴んで、ずっと攻めてた感じだった。
アヒージョは最後まで緊張しっぱなしで、こぼれ球を拾うところは何度もあったけど、すぐキョロキョロしてパスしちまってた。
アヒージョ自身はあまりパスはもらえないみたいだったね。
アヒージョはチームのミーティングがあるっていうんで、あたしは先に帰った。
落ち込んで帰ってくるだろうな、と思ってね。
その日の夕食は腕によりをかけたよ。息子がね。
息子はサッカーを諦めた後、料理人になって、今は小さな店をやってる。美味いよ。あんまり流行ってないけどね。
「ただいまー。うほい、ごちそうだ。さてはお祝いだな。やったぜ。」
驚いたよ。
アヒージョはなぜかいつもより元気に帰ってきてね。
まだちょっと試合の興奮が冷めてない感じでね、食べながらよく喋ってた。
「おちこんでる? なんでだ? だいかつやくだったのに。」
「ずっとキョロキョロしてただけ? わかってないなー。ばあちゃんはぜんぜんわかってない。」
「あのオーバーヘッドキックのこと? わかってないなー。ばあちゃんはぜんぜんわかってない。」
「スーパープレイってのはさ、チームが勝つことをいうんだぜ。」
「もっかいみにきたらわかるよ。うちのコーチは、わかってる人だからな。たぶんつぎもスタメンだ。」
「しょうがないな。ヒントはいっこだけだぞ。おれがパスしたやつがどううごくか、みてるんだ。
ヒントっていうか、ほとんどこたえだけどな。」
次の試合、言ってた通りアヒージョはスタメンだった。
相変わらずずっとキョロキョロしてて、こぼれ球を拾ったら、すぐパス。
あたしは言われた通り、アヒージョがパスした相手の動きを見てた。
やっぱり他の子は積極的だったね。全く迷わず動いて敵を抜き去り、シュート。
惜しくも外れたけど、チャンスだったよ。
しばらくして、またアヒージョが、こぼれ球を拾う。またすぐパス。
パスを受けたのはさっきとは違う子だったけど、やっぱり積極的だね。
全く迷わず動いて敵を抜き去り、クロスっていうのかい? ゴール前にボールを上げる。
そこに前回のオーバーヘッドキックの子がヘディングを合わせて、試合開始7分で1点先制。
しばらくして、またアヒージョがこぼれ球を拾う。すぐパス。
受けた子は、やっぱり積極的で、
全く迷わず動いて敵を抜き去り、そのままドリブルで突破。
ゴール前でディフェンダーに止められたけど、これもなかなかのチャンスだった。
1-0で前半終了。
やっぱり強いチームだね。点差こそ1点だけど、終始ペースを掴んでた。
後半になってもペースは掴んだまま。
アヒージョ、ほんとにパスはもらえないね。またこぼれ球を拾って、すぐパス。
受けた子は、全く迷わず動いて敵を抜き去り、そのまま突破してシュート。
後半開始早々の2点目。
アヒージョがこぼれ球を拾う。すぐパス。
受けた子は、全く迷わず動いて敵を抜き去り、ゴール前でパス。
走り込んでた子がシュートを決めて3点目。ナイスアシストだね。
アヒージョがこぼれ球を拾う。すぐパス。
受けた子は、全く迷わず動いて敵を抜き去り、ゴール前で止められる。
アヒージョがこぼれ球を拾う。すぐパス。
受けた子は、全く迷わず動いて敵を抜き去り、かなり遠めからのシュート。キーパーに止められる。
アヒージョがこぼれ球を拾う。すぐパス。
受けた子は、全く迷わず動いて敵を抜き去り、
…………
さすがに、サッカーのことはよく知らないあたしでも、おかしいと思ったよ。
それからしばらく、ボールを持っていない時のアヒージョの動きを目で追ってみた。
今は前の方で味方が攻めてる。
相変わらずキョロキョロしてたアヒージョが、ゆっくり走り出す。
味方のシュートが敵のディフェンダーに阻まれる。苦し紛れのクリア。こぼれ球になる。
そこに、ゆっくり走ってきたアヒージョがいる。
拾って、パス。
受けた子は、全く迷わず動いて敵を抜き去り、そのまま突破。シュート。
アヒージョはその間に、ゆっくり走り出す。
また相手ディフェンダーに阻まれ、苦し紛れのクリア。
大きく浮いたボールが落ちてくる。そこに、ゆっくり走ってきたアヒージョがいる。
まさかね。
まさかね、とは思ったけど、どう考えてもおかしい。
後半になるにつれて、アヒージョのこぼれ球を拾う回数はどんどん増えていった。
というか、こぼれ球が来る場所には、いつもすでにアヒージョがいた。
そしてパスを出した相手は、不自然なくらいに、全く迷わず動いて敵を抜き去り、チャンスを作る。
そういえば、アヒージョ以外からパスを受けた子には、それなりに迷いがあった。当然さね。
敵も味方も目まぐるしく動いてる中で、どう攻めるか決めなくちゃいけない。ましてや経験の浅い小学生だ。
そんなことを考えてるうちに、またアヒージョがこぼれ球を拾う。すぐパス。
受けた子は、やっぱり全く迷わず動いて敵を抜き去り、サイドからゴール前にボールを上げる。
オーバーヘッドキックの子が、点差もあったし、前の成功で味をしめたんだろうね。
またオーバーヘッドキックを狙って、なんとまた成功。自信をつけるってのはこわいもんだね。4点目。
その日も終始攻め続けて、相手チームはいいところなし。
その日の試合は5-0の圧勝だった。
「ただいまー。うほい、またごちそうだ。やったぜ。
こんどはちゃんとお祝いのやつか? ばーちゃん、ちゃんとみてたか?」
「おお、さすがばーちゃん、ちょっとわかってきたな。」
「だいたい、みてればわかるんだ。だれがどううごくか。
チームのみんなのことはしってるし、てきのことも、みてるとだんだんわかってくる。」
「ああ、またオーバーヘッドキックだったな。でも、そんなのはどうでもいいんだ。すごいのはすごいけどな。」
「スーパープレイってのは、チームが勝つことをいうんだぜ。」
「そううごきたくなるとこにパスをだすんだ。
きょうはすごくうまくいった。てきがたんじゅんだったからな。」
「てきがつよいと、半々ぐらいだけどな。
でも、サッカーでこうげきのはんぶんがうまくいったら、それはもう、」
それはもう、圧勝だ。
それぐらいあたしでもわかる。
それからもアヒージョのチームは、たいていの相手には圧勝だった。
何度も観に行ったよ。
まさかね、と思って。そんな馬鹿な、と思って。
そしてそのうちに、孫の大活躍を観るのが楽しくなって。
味方のことは完全に頭に入ってる。
敵のことも見ているうちにわかってくる。
わかってきたら、アヒージョの時間が始まる。
アヒージョはいつもこぼれ球が転がる先にいる。
味方がどこでどの体勢でパスを受ければどう動きたくなるか、アヒージョにはわかっていて、
そして完璧な位置にパスを出す。
まさか、と思うだろ。
そのまさか、が、それから何試合も続いた。
アヒージョはいわゆる、天才っていうやつだった。
「ただいまー。うほい、ごちそうだ。
お祝いだな? きょうもだいかつやくだったからなー。」
「ただいまー。うほい、ごちそうだ。
それもそのはず、きょうもだいかつやくだったからなー。」
「ただいまー。だいかつやくだったー。すなわち、ごちそうか?
やっぱりだ。やったぜ。」
あたしのセリフはいつも決まってる。
「おかえり。今日もスーパープレイだったね。」
アヒージョの返事もいつも決まってる。
「へっへっへ。そう、スーパープレイってのは、チームが勝つことをいうんだぜ。」
なんだかずいぶん長くなっちまったね。
もう少しだけ付き合ってくれるかい?
これから話すのはその4年後のことさ。アヒージョの最後の試合の日。
いい天気の日だったよ。夏にはまだ早いけど、ずいぶん暑かった。
その日、アヒージョは、この4年間ずっとしてきたように、
試合の最初から最後まで、ベンチから誰よりも大きな声で声援を送り続けていた。
天才だったよ。間違いなくアヒージョは天才だった。
だけど、大活躍は長く続かなかった。
アヒージョ2年の夏、チームは大きな大会の決勝の舞台に登りつめた。
相手は大会7連覇の強豪。だけどアヒージョがいれば勝てない相手じゃない。
前半はいつものとおりに進んだ。様子を見ながら敵の選手の癖を覚えていくアヒージョ。
さすがに強豪、1点リードされて、0‐1で前半終了。
でも、アヒージョは笑っていた。
「ふっふっふ。だいたいわかったぞ。みてろー。」
そんな顔だったね。
そして後半、アヒージョの時間が始まった。
ボールは吸い寄せられるようにアヒージョのいるところへ転がり、
アヒージョのパスは吸い寄せられるように味方の足元へ転がり、
味方の放ったシュートは吸い寄せられるようにゴールへ転がり。
そしてゲームの展開は吸い寄せられるようにアヒージョのチームへと、転がらなかった。
味方が変に意識してしまうと、動きが読めなくなるってんで、
アヒージョは自分が何をしてるか、チームメイトには言っていなかった。
アヒージョが天才なことに気づいてるのは、
ずっと、あたしと、アヒージョのチームの「わかってる」コーチだけだった。
ただ、その日は、もう一人気づいてる奴がいた。
相手のチームのコーチも、「わかってる」奴だったのさ。
それから、2‐4でゲームが終わるまで、アヒージョは一度もボールに触らせてもらえなかった。
6年の、いちばんでかい奴にずっとべったりマークされてたんだ。
アヒージョについていけばそこにボールが転がってくる。
チビのアヒージョからボールを奪うのは簡単だった。
そしていちばん不幸だったのは、それが大きな大会の決勝だったこと。
スペイン中のチームのコーチ達が、その一部始終を見ていた。
その試合で、天才アヒージョの名は、スペイン中に広まったのさ。
アヒージョにとっては、最悪の形でね。
「ただいまー。ああ、ごちそうだ。お祝いのやつじゃないな。ばあちゃん、ごめんな。」
「ただいまー。きょうもだめだった。ごちそうかー。ごめんなー。」
「ただいまー。だめだった。ごめんなー。
でもな、ごちそうはたべるんだ。いっぱいたべないと、おおきくなれないからな。」
「ただいまー。たべる。たべるぞー。おおきくならないと。おおきくならないとだ。」
「たべるぞー。ただいまー。おれも6ねんになってあいつみたいにおおきくなったら、
まただいかつやくするからな。みてろよ、ばーちゃん。」
アヒージョはだんだん試合に出れなくなっていったけど、一日も練習を欠かさなかった。
いつでも完璧なパスが出せるように。
いつ身体が大きくなって、ボールを奪われなくなってもいいように。
息子もアヒージョを応援していて、試合の日にはいつもご馳走を作った。
息子は大人になった今でもチビでね。とてもスポーツをやるような体格じゃなくて。
そして、アヒージョは、体格まで息子にそっくりだった。
6年生になってもね。
アヒージョ最後の試合、前半が終わって、0‐3、完全に相手のペースだった。
アヒージョがいなくても決して弱いチームじゃないけど、相手が強すぎたね。
でかくて、速くて、しかも上手いやつばかりだった。
後半が始まって、半分が過ぎて、さらに1点を追加されて、0‐4。
相変わらず相手のペース。打つ手がなかった。味方は全員疲れ切ってる。
でも、時間が時間だ。相手にもさすがに疲れが見えた。
それを見て、アヒージョのチームの「わかってる」コーチが動いた。
「アヒージョ、いけるか?」
コーチの作戦を聞くアヒージョ。
悪くない話だった。アヒージョはずっとベンチから敵の動きを見てた。
つまり、もうアヒージョの時間は始まっている。
いつものようにマークされたとしても、最初から戦ってきて疲れてる敵と、今から出るアヒージョだ。
アヒージョがボールに触れられさえすれば。
味方をゴールまで導く完璧なパス。この4年間一日も欠かさず練習してきた。
そして、天才アヒージョの大活躍で、まさかの逆転勝利。
…………
無理だね。
あたしにはわかった。
2年の最初の試合からずっとアヒージョを見てきたあたしだ。
アヒージョがどこまでやれるかは、なんとなくだけど大体わかる。
敵が疲れてる今でもきっとボールには触れない。
運が良かったとしても、かろうじて一度触れるかどうか、1点返せるかどうかだろうね。
もしまだ勝てる見込みがあるとすれば……
あたしは、ついこの間の夕方こと、
この4年間で一度だけ、アヒージョが元気に帰って来たときのことを思い出していた。
「ばあちゃん、すごいぞ。すごいやつがいるんだ。
1ねんにさ、おれとおなじなまえの、アヒージョってやつがはいってきてさ。」
「そいつ、じしんがなくて、ぜんぜんしょうぶにいかなくて、へたなパスばっかりで、
だからコーチもまだきづいてないけど、しんたいのうりょくが、ずばぬけてるんだ。
それはもう、あっとうてきなんだ。」
「あいつがそのきになったらさ、とめられるやつなんて、たぶんスペインにはいないぞ。」
残り時間がないっていうのに、コーチとアヒージョはずいぶん長く話してた。
そして、選手の交代が告げられる。
疲弊しきったオーバーヘッドのあの子に代わって、ピッチに立った選手は、アヒージョ。
6年生にもひけをとらない体格をした、この春入ってきたばかりの1年生だった。
入り際、緊張でガチガチになってる後輩に、先輩の、チビのアヒージョが何か声をかける。
後輩の顔が少しだけ変わる。
残り時間は10分を切っていた。点差は4点。
依然相手のペース。絶望的な状況。
そして時間が残り9分を切ったとき、フィールドの真ん中あたり、
さっき入ってきた1年生がはじめてボールを持った。
そして、ドリブルをした。
その一年生がしたことは、それだけだった。
単純な、ただ単純な、身体能力の差。
そのただのドリブルに、追いつける選手が、一人もいなかった。
その1年生は敵チームの全員を抜いて、キーパーまでも抜いて、
シュートさえ打たずに1点を返した。
そして、その瞬間に、その1年生の顔つきが、完全に変わった。
才能が覚醒する瞬間だった。
つくづく、自信をつけるってのは、こわいもんだね。
その1年生は、たった9分の間に、
敵も、味方も、コーチも、ベンチも、その場にいた全員に、
この世界には絶対的な才能の差というものがあることを、いやというほど思い知らせた。
猛烈なスピードでボールを奪って、ドリブルをしたら誰も追いつけない。
あっという間の3得点。3‐4、残り1分。
囲め! そいつにボールを持たせるな!
極端なぐらいの徹底マーク。
攻めが手薄になった敵から味方が奪うボール。
サイドからボールを運ぶ味方、ゴール前に走りこむその一年生、それを取り囲む敵選手たち。
パスの出せるコースがない! どうする!? 迫る時間。もういつ笛が鳴ってもおかしくない。
仕方ない、いちかばちか、あげたセンタリングは、
「浮き過ぎた!!」
そう誰もが思った。敵は安堵して。味方は落胆して。
その時はさすがにあたしもここまでかと思ったけど、
ベンチに一人だけ、泣きながら笑ってる、おかしな奴がいた。
「あっはっは。ちょうどだ。かんぺきだ。」
そして、そのおかしな奴、うちのチビの天才は、この四年間ずっとそうしてきたように、
最後までベンチから誰より大きい声で声援を送った。
「いけ!! とべ!! アヒージョ!!!」
身体の大きなアヒージョが、跳んだ。
でかい敵たちに、徹底的にマークされながら。
その必死のブロックよりも、悠々と、頭ふたつは抜け出して。
そして、ボールがネットを揺らした。
そのあとのことは、もう話さなくてもいいやね。
延長戦でも、身体の大きなアヒージョをとめられるやつは、もちろん誰もいなかったのさ。
「ただいまー。おれ、だめだったー。ばあちゃん、ごめんな。
ああ、もうごちそうはいいんだ。おおきくなれなかったからなー。」
その日は、今までで一番のご馳走を用意したよ。息子がね。
なぜって? 決まってるさ。 そして、あたしのセリフも決まってる。
「おかえり。今日もスーパープレイだったね。」
アヒージョは一瞬目を見開くと、
「へっへっへ。さすがばあちゃん。ということは、さては、お祝いのやつだな?」
「そう、スーパープレイってのは、チームが勝つことをいうんだぜ。」
「でも、たぶんこれでさいごだ。
もうたぶん、おれ、スーパープレイ、できないなあ。」
「よーし、たべる。たべるぞー。お祝いのやつだからな。
そして、どうじに、やけぐいだ。いただきます。」
ぼろぼろ泣きながら、よく食べてたよ。とーちゃん、これ、しょっぱいぞー。なんて言いながら。
それは涙が入ったんじゃないかと思ったけど、
その日はあたしの分もやけにしょっぱかったから、
息子の奴が味付けを間違えたのかもしれないね。
もう少しだけっていいながら、また長くなっちまったね。
最後にあと少しだけ付き合ってくれるかい?
最後の試合から11年後、そう、今のアヒージョの話さ。
アヒージョはあの後、きっぱりとサッカーを辞めちまった。
まだ出られる大会がいくつか残っていたけど、
スーパープレイはあいつにまかせるよ。なんて言ってね。
それから、店を継ぐために息子に料理を習い始めると、みるみるうちに上達して、
あっという間に息子を追い抜いて、遥か先へ行っちまった。
絶対的な才能の差、っていうのかい。あるもんだね。
アヒージョを見ていて思ったよ。あるもんだね、絶対的な才能の差。
息子はアヒージョが成人すると、さっさと店を譲って隠居しちまった。
あれはスーパープレイだったね。おかげで今じゃ店は大繁盛さ。
アヒージョは、休みの日には、息子と二人で、やっぱり好きなんだね、
ただのサッカーファンの大人二人になって、地元のクラブの試合を観に行ってる。
昔から変わらない、この町の典型的な親子の姿さ。
有名なサッカークラブがあるからね。
今もこの町の子ども達はサッカー選手に憧れて、毎日ボールを追いかけてる。
そして部屋には、地元のクラブのエースのポスター。
45年前からちっとも変わらない風景。違うのはポスターの選手の名前だけさ。
最近だと、昨シーズンプロ1年目にして史上最年少の得点王、チームを3年ぶりの優勝へ導いた、
アヒージョって選手のポスターが貼られてる。
その選手はインタビューなんかで毎回、
昔、どうしても自信が持てず積極的なプレイができなかった自分に、ある先輩が、
「ゴールにむかってはしることだけをかんがえるんだ。
そうすれば、おまえをとめられるやつなんて、ぜったいにいない。」って言ってくれた。
自分は今でもその言葉のままにやってるだけなんだ。大切なのは自分を信じることさ。
なんて言ってるよ。
これがあたしの自慢の孫の、最後のスーパープレイの話さ。
長々と付き合わせて悪かったね。
今度この町に来ることがあったら、孫の店に食べにおいで。あたしがご馳走するよ。
ただし、名物の『エビときのこのオイル煮 にんにく風味』が食べたかったら、
昼のうちに来なくちゃいけないよ。すぐに売り切れちまうからね。
それじゃあね。気をつけて帰るんだよ。
えー、
だそうです。ええ。
いやー長い話であった。
まったく、とんだばあさんにつかまっちまったぜ。
いや、しかし、
アヒージョって、いいよね。
なにがって、むろん響きが。
流行っていながらややもさい。
しゃれおつながらも憎めない。
この感じ。わかるかね。
不思議なもんで、これが「ムラーノ・ドゥ・ボルワール」とかだと、やかましわ、実家帰れ。となる。
まったく語感って大事だ。
適度な隙。愛され語感、アヒージョ。
なんかスペインの元サッカー少年の料理人みたいじゃないか。
22歳ぐらいで、まだたまに生意気なところがあるけどいいやつで、たぶん天パのすきっ歯で、
将来の夢はもちろんスペインいちのスーパーシェフだ。
いけるぜ、頑張れアヒージョ。