[コラム] 受付嬢マホの「夜の飛ばせ方Reloaded」(2017/09)


ハワイもいい。

あそこはそこそこ遠いし、白人さんもたくさんいて
「ああ、わいは今、外国に来ているんやなぁ・・」と
そこにいるだけで感じさせてくれる。
最近本当に話していても一人称が「わい」になるので、直したほうがいいのは分かっている。

ハワイは拙い英語も大きなアメリカ大陸の心で受け止めてくれるし
単純明快な味の食事も勿論口に合うし
日本で大盛りを注文するのに躊躇ってしまう私だが、この国では並盛りで満足。
辱めを受けることもない。


ではなぜ私はハワイでなく台湾に行きたいのか?
答えは簡単だ。

「ハワイは物価が高い」

私の人生で一番重要なワード「早い・美味い・安い」をクリアしないのだ。

台湾を見てみろ。
初台湾は土産と旅費交通費、向こうでの食費全部込みで4万円でお釣りがきた。

私は手頃に
「なんか日本じゃねえとこにいるんだな〜。今仕事の話されたってわかんねえよ。ここどこだと思ってんだよ。」
感が欲しいのだ。
その全てを兼ね備えているのが台湾なのだ。
さらに親日国だなんて、マジ、足向けて寝れねぇっす。

二度目の台湾は母への孝行ツアーでがっつりバス観光だったのだが
あいにくツアーにありがちな「わい、最年少」ver.だった為
ガイドさんが淡々と説明したことを初老のご夫婦多めのツアー客に説明し直したり
自由時間も他のツアー客に「○○連れてって」とおねだりされるなど
日本でもよくあるなんちゃってツアコン状態だった。

母はむつかしい香辛料や香草などが苦手、発酵食品も食べられないという
平たく言うと「貴様、絶対日本以外のアジア無理やろ」な人なのだが
ペ・ヨンジュンにハマった時も私を韓国へ連れ出し、案の定ろくに飯も食べれなかったのだが
それでも母はとても満足げだった。
なんかでっかいペ・ヨンジュンの看板の前でおばポーズで写真を撮ったり
韓国限定のよくわからないペ・ヨンジュン印の化粧品を買って浮かれていた。

そんな事を思い出していると、ふと気付く事があった。
韓国に行ったのは10年ほど前。
私も母も同じだけ歳をとった。

私はあいも変わらずフワフワと寺田町でもぎりを続けているが
母はあの頃勤めていたパートを辞め、今は父方母方両方の祖母の介護に日々追われている。

そんな中、今回行った台湾旅行。
楽しんでもらえるように自由時間に行く店のリサーチは入念に行って
ローカルな雑貨屋を巡ったり、問屋街で安い化粧品を買ったりした。

母は韓国旅行の時の5倍くらいは「ごめんね」を口にしていた。
その合間に「ありがとう」も沢山口にした。

60を超えた辺りから母は何事でも私に「付き合ってもらっている」という体で物を言うようになった。
私は母を少し年上で間の抜けた大切な友人だと思っているので、それが凄く気になっていた。

34歳になった私は母に「ごめんね」ばかり言わせている。
母はきっと色んな「おめでとう」を言いたいはずなのにな、とギュッと胸が締め付けられた。


後何度「おめでとう」を言わせてあげられるか、自信はないけれど
最悪、資格を200個くらい取って200回おめでとうを言わせ
渡辺えりさんよろしく殺人事件でも解決するしかない、と腹を括っている。