[コラム] 受付嬢マホの「夜の飛ばせ方Reloaded」(2016/11)


2016年、平成28年7月22日。

皆さんはこの日何が起きたかご存知だろうか。


答えは「我が家が揺れた日」である。音も立てずに。


この時、私はまだ静かに訪れる悲劇に気付かずに
いつものように鼻クソを食べて「自給自足だ」とほざいたり
上司であるあだちさんに「ムシャクシャするから殴らせろ」と交渉したりしていた。

翌日、世間は相当混乱していた。私はそれを全く他人事として捉えていた。
しかし週に6日は寺田町にいると評判の私は、同僚たちの会話がさっぱり理解出来なくなり
ほんの出来心のつもりで決断のスイッチを押した。


ここがわが人生30歳超えてから2度目のターニングポイントとなる

『ポケモンGO』をインストールした瞬間である。

正確には私自身の、ではないのだが。



私が二十歳になったばかりの頃、母親は更年期障害の影響なのか物凄くふさぎこんでしまった。
いろんな面で滅入っていたし、なんだかよくない事も重なっていた。
そんな時母を救ったのは私でも父でもなく、日本人ですらない赤の他人の「ペ・ヨンジュン」だった。
当時、一世を風靡していた彼。
私も母も「何がいいんだかね〜?」と若干鼻で笑っていたのだが
その1週間後には近所のおばちゃんから借りた大量のDVDを血眼で見ている母がいた。
まさか自分に一番近しい存在の人間がこんなにまんまと流行り物に乗っかるとは思ってもいなかったが
なんせ母は日に日に明るくなっていった。
機械音痴なのにパソコンで情報を検索したり、懸賞に応募したり、
最終的には一人で埼玉まで米粒大のペ・ヨンジュンを見るためにお洒落して出かける程ののぼせ様だった。

とにかく元気になってくれてよかった。
今はもうなんの興味も示さなくなったが
いまだに我が家の電話の隣に据え置きされているメモ用紙はうすーく彼が浮かび上がったものだし
母の自宅の鍵にはもう削れて真っ白になっている元ペ・ヨンジュンだったキーホルダーがぶら下がっている。


母も還暦を迎え、ここ数年は自分の体調不良に加え父方母方両家の祖母の介護に疲れ果てていた。
そのタイミングで私も実家を出てしまったのではけ口もなく、常にイライラしていた。


私は神に祈った。


「もう一度母に生きる幸せを!楽しみを!第二のペ・ヨジュンを...!!!」


神様はスマホを弄りながら ノールックで答えた。


「元気になればいい???」


私は「勿論」と即答した。




数日後、私とラーメンランチを食らっていた母が「ねぇねぇ、ポケモンて面白いの?」と聞いてきた。
パズルゲームや箱庭ゲームしかしない母には難しいのではないか?と一抹の不安がよぎったが
気分が紛れるならと母のスマホにインストールしてやった。

さらに数日が経ち「ポケモンはどうだ?」と聞いた所
「あまり分からないが父もやり始めたので二人で悪戦苦闘してる〜」とゆるい返事が。

さらにさらに数日後母から電話がかかってきた。
受話器越しの母はほぼ泣いていた。

「お父さんが触ったらログイン出来なくなった」

機械音痴の母の説明では理解できなかったが長引くとややこしそうなので
仕事終わりにフラフラ実家に寄り、ポチポチしたらログイン出来た。
父からは「いや〜、母さん口聞いてくれない位怒ってたから助かったわ〜!」と言いながら
気まずくて出来なかったであろうポケモンを立ち上げ、日付が変わっているのにポケストを求めて彷徨い
2時になっても帰ってこないので母に「不審者がいると通報されればいい」と吐き捨てられていた。
この頃すでに父は1ヶ月弱早く始めていた私のレベルを超していた。


それからというものの母に電話する度に聞いてもないのに
「今日は父は天保山にいる」「父とゼニガメの巣に行ってきた」と報告するようになった。
変な操作をしてはピヨって電話がかかってくる。ポケモン関係でやたらに父と揉める。

果たしてこれが正解なのかはさておき、母はとても元気になっていった。

ポケモンのやりすぎで腱鞘炎になった父は最近はいつ電話しても天保山にいるので多分もう住んでいるのだと思う。
母はたまに父に会いに天保山に行っているので事実上円満別居だ。

我が家に平和が訪れた。
世界の任天堂様には御歳暮にヤドンで作ったハムでも送るつもりだ。