[コラム] 受付嬢マホの「夜の飛ばせ方Reloaded」(2018/01)


こんなに何にも遠慮せずに生きている私なのに
コラムやツイッターを見てくだすってる方々からよく
「病んでる?」
と聞かれる。

全く、全くをもって病んでなどいない。

歳のせいもあって疲れていたり、自律神経ちょっとやっちまったりする事もあるが
心は極めて健康である。
悩む=病んでいる、など現代社会が都合よく作り出したもので
そりゃ生きていれば嫌な事もあるし腹が立つこともある。腹が立つことは沢山ある。大事なので二回言っておく。

私のSNSを見て「病んでる」と思っている方に朗報がある。
あれは「病んでる」のではなく、シンプルに性格が悪いのだ。

口癖である「しばくぞ」「何見てんねん」「お前誰や」等から想像出来るように
私は極めて生粋の「質の悪い関西人」なのだ。

故に日々何かしらにイチャモンをつけているし、それと同時に日常に転がっている面白い事を必死に探している。
鬱々としていればいるほど「悲しい・・・」「しんどい・・・」などと嘆きたくなくなり
そんなことより面白い事を探しているだなんて、とんだHAPPY LADYじゃあないか。
人から心配されるような事は何一つない。
心配するなら金をくれと先人も申しておった。

とはいえ、そんな私も「もうだめかもしれない・・・」とツイートすら出来ないほど落ち込む事もある。
ラーメンも替え玉1つしか食べられない。
そんな時に書かないといけないコラム程憎いものはなく
「音楽をやってるでもないのでなんの宣伝にもならんし、誰が見てんねんこんなん・・・」
などとどんどん卑屈に、どんどん自暴自棄になる。
「もうやめよう。こんな事続けてても何の意味もない。たまにコラム見てますよ!と声をかけてくれる人もいるけれど
本当かどうかもわからないし・・・。」

貴方は私がペンを置く決意が固まる直前になると現れる。

その男性は「コラムのファンです・・・」とだけ言い残し、そっと受付に寿司折りを置いて行ってくださる。

『寿司、折りし神』、である。

どこの誰だか全く存じ上げないのだが、過去に二度私は寿司折りをいただいている。
Wikipediaにもあるように無類の寿司好きの私は、二度とも受付で大きな声を出して歓喜に沸いた。
三十路が喜んでいる間に神はすぐにフロアに消え、その後一切私に話し掛ける事もなく
気が付くとフロアからも姿をくらませる。
「あれは幻だったのだろうか・・・」と帰宅し、リュックを開けると
そこには米に酢を混ぜて握ったものに刺身が乗った、紛れもない「Japanese food SUSHI」が折りに入っていて
私はそれを「うんめぇ・・・うんめぇ・・・」と泣きながら食べたのであった。

きっとこのコラムも読んでくだすっていると思うので、
「次手ぶらで行きにくくなるだろ!このくそアマが!!!」と取られてしまっても仕方がないのは承知で書いている。
そして勿論「またお寿司、お待ちしていますよ!」などという気は毛頭ない。
ただ、私があのお寿司にどれだけ癒され、励まされたかをどうしてもお伝えしたかったのだ。
薄暗い地下室に長く軟禁された私は、お寿司をいただいても
驚きと神々しさに負け文字通り「あうあうあ・・・」以上の言葉を口に出来た記憶がなかった。
酒でも入っていれば高校の授業で習った十八番の「帰れ、ソレントへ」をイタリア語で披露してさしあげたい位感謝している。
おまけに「オー・ソレ・ミオ」をつけても十分にお釣りがくる。

そして一番何が言いたかったかというと
「他の読者の方も是非、わてに寿司をおくれ。」
に尽きる。

スーパーのでいい。鉄火巻きだって構わない。
嗚呼、我乞酢米在魚介。