[コラム] 受付嬢マホの「夜の飛ばせ方Reloaded(仮)」(2014/05)
下衆(げす)とは。
品性が下劣なこと。また,そのような人やさま。
一方、外道(げどう)とは。
心のひねくれた者。人の道から逸する者。
私はとてもとても悩んだ。
Fireloopの末娘のなつこがステージにマイクを置いて引退したのは少し前の話。(あ、今は非常勤で来てくれていますのでまだ会えます。落ち着いて下さいね。)
三姉妹でちんたら遊びに行くだけの穏やかなレポートコラムだったのだが、彼女には新しい生活もあるだろう。存続は難しい。
かなと二人で、とも、やっとスタッフ平均年齢を下げてくれた期待の新人ももちゃん(24・美人)と三人で、とも考えた。
しかし心の中の私が囁く。「ホントウニソレデイイノ?」
数年前、私はFireloopのマンスリースケジュール冊子に「夜の飛ばせ方」というコラムを連載していた。通称「エロコラム」。
赤裸々に綴られた私の悶々としたそのコラムは様々な方面で物議を醸し、「どうせ私の事知ってる人しか読まないだろう。」とがむしゃらに刀を振り回した結果、大阪寝屋川に始まり名古屋、そして東京のバンドマンや音楽関係者にまで初対面で「もしかして、あのエロコラムの...」とお声がけ頂けるまでに成った。
しかし、私はそれを捨てた。
文字通り、捨てたのだ。
理由は「エロの限界」。
私の穴という穴から、どれだけ絞ってもエロが一滴も出なくなったのだ。
それからというものの私は荒れに荒れた。浴びるように酒を飲み、貪るように女を抱き、目に留まった食物を食べ漁った。
しかし一度失ったエロはそう簡単に蘇る事はなく、月日は流れた。
30を過ぎた私に残ったのは高めの血圧と高めの血糖値だけだった。
そんな私を救ったのは随分昔からの友人であるバンドマンのtwitterでの立ち振舞だった。
彼は周りの目を気にする事なく、曇なき眼で自分のフォロワーがあげた全裸の女性のグラビアをリツイートし続けていた。
彼は私と同い年で二児の父。後に知ったが実妹もフォロワーだった。彼は誰に屈する事もなく「セックスがしたい」と毎日呟いていた。
私の泉がトクン、と脈打つのが分かった。湧き上がる私の中の「エロチシズム」。悦びでしかなかった。
何を迷っていたのだろう?私の下せた性格や曲がった性感情は“ファッションゲス”“ファッションエロ”だったのか?断じて違う。
彼の周りには彼と同等、それ以上の愛すべきゲス達が毎日「とりあえず、吸いたい」「モテたい」と下せた事ばかり飽きもせずに呟く。
時には「うざい」とフォローを外されたりしているようだが、彼らは気にも留めず各々のゲスを今日も貫いている。
やるなら、今しかねぇ。
私はコラムを再開する事にした。自分がエロオンリーというより下衆や外道に限りなく近い事も加味して「ゲスコラム」として。徒然なるままに。
先日、31歳になりました。同年代の友人たちは家族を築いていき、恋愛観や感情論でゲスが語れないのも存じておりますが
マホ、イキます!