[コラム] 受付嬢マホの「夜の飛ばせ方Reloaded」(2017/07)


以前にもお話したのだが、歳を重ねるにつれて自分にとって何が大切かのベクトルが変わってきた。
昔は日々自分が何にお金を使っているのかさっぱり覚えていなかったが
今は結構事細かに覚えていたりする。
そしてお金より時間や健康や大切な人の方が掛け替えがない事にも、やっと気が付いた。

20代の頃は、大人がよく言っていた「貯金はしておけ」「独身の間に行きたい所に行っておけ」等の忠告をことごとく無視して生きていた。
結果、悔いこそないが「なるほどな」と思い当たる節は多々あるので
私もその大人の例に漏れず「やりたい事はとりあえずやっとけ」と若者に言う事にしている。
と、同時に私はまだまだ独身なので30目前にしてこの言いつけを遅ばせながらがっつりキャッチし
現在は貯金と旅行に勤しんでいる。

学生時代から職場や同僚に恵まれていたのもあり、何度も「働きすぎだ」と忠告されてきたが、
ずっと仕事優先で生きてきたし楽しいので気にも留めていなかった。
貴重な経験も勿論沢山あるが、如何せんその大半は寺田町を出ず
頑張ってもアメ村までで、たまに京都や神戸に行こうものなら緊張で手足が震えたりする。
特に他所のライブハウスに行くと大体視線は自分のつま先に向けるし
受付の方にも目を合わせられず「すみませんすみません」を連呼するマシーンと化す。

これではいかん!人生を寺田町だけで終わらせてはいけない!と奮起し
「デブで出不精のマホ」の異名を持つ私が「よし!その話乗った!!」と立ち上がったのが
東京でも北海道でも沖縄でもなく「台湾計画」だった。

私を誘った10年来の友人・藤井えい子氏は想像以上に驚いていた。
彼女が東京に住んでいた時も「イクイク詐欺」を繰り返してはやっぱりイッていなかった。
イクまでも「もうすぐイク用意しないとな・・・」とネガティヴだし
帰ってきても「楽しかったけど疲れちゃったな・・・」と枯れ女のセックスのようになってしまうのを知っているからだ。

しかし女30ももうすぐ半ば。誰かに促されでもしなければ行く事もないだろう。よし!と4000tはくだらない重い腰を上げ行ってみた台湾で


私は、鳥になった。

鳥になったのよ?


自由を噛み締め、何もしないって、考えないってこんなに素晴らしかったのか!
私が求めていたのはこれだったのだ!
トイレのドアには40センチ四方の小窓が開けっ放しで付いていたし
街は常に八角と少し生臭い香りがしていて、気にしぃの私には厳しい面も多々あったがそんな事もすぐに気にならなくなった。

興奮は帰国しても冷め遣らず、毎晩台湾を想って咽び泣いた。
気がつくと小籠包の写真を3時間眺めていたし、身体は次第に上半身だけ右に傾くようになりそれはまるで台湾の形そのものだった。
そのくらい台湾へ帰りたかったのだ。

数ヶ月経たずして次の台湾行きを決めた。
もう私を止めるものは何もなかった。〜続く