[コラム] HortNecksゴル健の「予感のような町」vol.14 (2010年01月号)

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ギター、ギター、ギター。どういう音が、どういう風に鳴るんだろか。


俺が使ってるギターには、6本の弦に加えて、フレットというのが1から24まである。当然その組み合わせしだいで色んな音が鳴るわけで、更にはチョーキン グだのハーモニクスだの、名前についてはよく知らないけど、弦を微妙に押し上げて音を変えたり、弦を軽く押さえる事で水みずしい音を鳴らしたりする技法が 沢山ある。だけれど、「表現の幅を表すための、土台になるべき計算式はそこには無いのだ」と、「要は一本のギター×一人の人間がどんな音を鳴らすのかって 話で、だからこそ、表現の幅は弦の数×フレットの数×諸々の技法なんかより、ずっとずっと広域なものになるのだ」と。今の自分には到底出来ないような事― ピロピロ弾いたり、ギュインギュインいわしたり―を、済ました感じで出来ちゃうようになった時にも、そんな風に思えていたらいいなぁ。

ギターを弾いてて変わる事や分かる事は、とても多い。例えば、ギターの音で「ラ」が分かるようになると、ピアノの音でもリコーダーの音でも不思議とそれが 分かってしまう。そして、そうした変化が、小説や歌舞伎に触れている時にも、ふと姿を見せる。つまり、お察しの通り、色んなものに対する「音感」が磨かれ てきた気がする、という話で、もうちょっとだけ突き詰めて書くなら、「ラ」や「ド」が分かるようになったというのは少し違って、その音一つ一つの正体につ いてはハッキリ断言出来ないのだけれど、それが「ド」から「ド」までの音――いわば、その物語が持つ音階――の中の、だいたいどの位置にある音なのかが分 かるようになってきた、という感じだ。これからそれが、絶対音感みたく「ラ」や「ド」の一つ一つまでハッキリと分かるほどの感覚を目指して、より研ぎ澄ま されていくのか、逆に、もっとシンプルな感覚を手に入れるための一つの過程だったのか、はたまた、ずっとこのままなのか。それはまだ、分からない。

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ギターを弾いてて変わる事や分かる事は、本当に多い。だから時々、少し怖い。「こうなれたらいいなぁ」って今感じてる事は、もちろん大事にしていたいけど。何が変わるのか、分からない。

どういう音が、どういう風に鳴るんだろか。そうして何を、どう変えるのか。

ギター、ギター、ギター。

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