[コラム] HortNecksゴル健の「予感のような町」vol.13 (2009年12月号)

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管理職クラスの中年サラリーマンがちょっとした日々の贅沢として足を運ぶような、高級指向の居酒屋でアルバイトをしている。時給より高そうな賄いを口に運びつつ、カウンター席のお客さんや店長にお酒を教えていただく。そんな感じで、「金銭的水準の高い生活」のオコボレを頂戴する度、有り難さでいっぱいになる。『自分は当分こんな店には来れないだろう』、そう思う度に湧く少しの哀しさこそが、この「惨め」な道を選択した自分自身を引き締めるからだ。

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ロクな就職もせず、いわゆる「フラフラした」道を行く。五年後には同年代の友人が手に入れているだろうものを、俺は手に入れていないだろう。謙虚な姿勢だ とか卑屈な考え方だとか、そういうのではなく、そもそも、その最低条件を覚悟した上での選択だ。だからこそ、俺はどの友人よりも「フラフラ」していたい (こんな立場じゃなきゃ出来ないような馬鹿な事を馬鹿な顔でやっていきたい)し、地盤ある道を選んだ人、特に何かしらの夢を捨ててその道を選んだような人 には、ちゃんと手に入れるべきものを手に入れて欲しいと思う。見下しあおうが、羨ましがりあおうが、母は子を持っていてこそ「母」であるように、俺と友人 との間をとりまくあらゆる語彙(「自分なりの幸せ」や「後悔・哀しさ」といった全てを含む)は、どちちもちゃんと存在していてこそ、その意味が言葉の内を 流れていくのだ。

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っちゅーのに(いつの世代だ)、社会みたいなデッカイもんが、そんな事すら今は拒む。卒業論文の兼ね合いもあり、経済や社会についての本を最近よく読む。 不況(恐慌)の必然性や「退職」の背景についての理解を深める分だけ、あえて「そんな問題じゃない」と、単純に、馬鹿げた声をあげてみる。そしたらまる で、足掻きに過ぎないその悪態すら捻り潰すように、「こんな御時世」に基づく過酷な労働で、一つ二つ上の先輩がチラホラ会社を辞めていく。社会が、不況 が、だから俺は嫌なのだ。



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