[コラム] HortNecksゴル健の「予感のような町」vol.12 (2009年11月号)

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アルファベット表の頭から。(アンタの理解に追いつかれるのが遅ければ遅い分だけ、きっと楽しい)

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「A」は何だか何となく、切り札っぽいもんを真ん中に持ってそう。それでそのまま、他のアルファベットには無いあの鋭角な先端で色んな障害を左右に受け流 しながら真っすぐ進んでいけそうで。ローマ読みでも「あ」として「あいうえお表」の先頭を堂々と確保しちゃうあたり、まさに「A級」という言葉で表せそう な、生まれもった風格を感じずにはいられない。「B」は、何となくズングリムックリで、一番の売りをズバリと先へと持っていけなさそうな感じ。でも、もの を入れられる穴が二つもあるのはアルファベット界唯一の存在で、これこそが二番手のポジションである所以なんじゃないかと思う。「C」までになると、何と なく、ほら、何か隠し持ってそうな雰囲気こそあるものの、もはや魅力はそこよりも、独特な「丸み」の方へとシフトしていく。「D」は何だか変に自分全体で 何かを囲いこみすぎて、「C」に似た丸みこそあるものの、一度倒れたら立ち上がるまでかなりの時間がかかりそう。「頑固というか何というか、扱い辛いんで すよね~あの人」って気の弱い上司に愚痴られてそう。たぶん、実際の力量的にもちょうど「B」の半分くらいだろう。「E」まで来ると、どんなに自分をア ピールしてみても、その形の奇抜さゆえ、横にして本立てとして使われたり、枯れ草を集める道具の先っちょとして使われたり、意志とは反する「コミカルな魅 力」しかどうしても世間に伝わらない。メジャーデビューしたのは良いが「コミックバンド」一筋で売られてしまう地方出身バンドみたいな。「F」は、そんな 「E」が絶望して立っていられなくなったサマ。「G」まで来ると、形の感じ云々よりも、頭文字の面で「ゴキブリ」を表す記号として使われる始末。このシ リーズが続くか分からないけど(こう書いて続いた試しが無い)、言いたいのは、Gはゴル健のGだから、もっと崇高な記号として世界中で使われるべきって 事。記号が世間に与えるニュアンスすら変えるのは、どんなに楽しいだろう。

追伸:最近の打ち上げで、小学生の時に流行った「H(Hする)・I(愛)・J(絶交)・K(結婚)」ってやつを勝手にやられて、「ゴルケン」(四文字)で行き着いた「K」が、「キモい」だった。変わるって怖い。



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