[コラム] HortNecksゴル健の「予感のような町」vol.11 (2009年10月号)

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今更に今更が広がっていく。ナンボの世界がナンボのもんじゃ。「いやいやしかし、奥ゆかしい」と、小さな世界を堂々巡り。

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あのデッカイ鉄のカタマリは、よくよく見ると穴だらけでジャングルジムみたいなモノだったから、いつの間にやらこの目をくれなくなったのだけど、穴だらけ なのにあれほどガツンとそこにあるって事こそが脅威なのだと気付いてしまった今日となっては話が別だ。数々の穴ぽこを支え、風通しを作り出す、あの骨組み みたいな「全体」が、とにかく今は羨ましくて。目指すべきは、そこな気がして。だから今よりもっと、自分自身に穴を開けて穴を開けて。その後もずっと穴を 開け続けて。そんな事だけ繰り返し、それでも私が立っていられたその時は、どうかアンタに「私」の塔をのぼって欲しい。なぜなら、そう。あの鉄のカタマリ が何となく気になりだして以来、「高さ」や「大きさ」についてしばしば考えるようになって、考えれば考えるほど、地位にしても知名度にしても生活水準にし ても、自分で持って上げていくモノなのではなくて、私という骨組みがドッシリそこにある事で、誰かや周りがそれを足場にして勝手に持って上げてくれるモノ な気がしてきたから。つまり、そこにあるだ
けで誰かに上がってもらえるって事の「高み」や、人に何かをしてもらえるほどの魅力の有無がそのまま繋がる自分の「ナンボ」、...ひいては、他力本願とは対極にある、残酷でシンプルな、ジャングルジムに似たこの構造そのものに、少し興味がわいてきたのだ。

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「誰かに上ってもらってナンボ」。例えば私自身が何かを持って高いところに上がれたとして、そこは所詮、他人のカタマリ。高くなれたというよりは、足場と したその骨組みの価値や存在力を固めたに過ぎない。分かってはいる、分かってはいる。だからこそ、「それでも上りたい」と思わせる、あの鉄のカタマリが醸 し出す真の「高み」が、こうして私を考えさせるのだ。

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このメンドクサイ「思考」を意識の外へと追いやれない以上、せめて、気になるカタマリをあえて上りまくって、そうして手にする偽りの「高み」から、そこに ある構造や、その魅力とやらを徹底的に調べ抜く。ビシバシ感じた「穴」や骨組みについて、ひたすら想いを馳せまくる。そしたら、このケチな「せめて」精神 が、実は近々、カタマリの土台みたいな、何かしら重要な存在になっちゃったり何ちゃったりするんじゃないか、とか何とか、ちょうど今、思っている。甘いだ ろか。でも、甘くて甘くて、甘いもん好きばかりが上がってくれる感じのカタマリになるのもマンザラでもない。「甘塔」、とかって。ベタなオチですみませ ん。...あ、甘いだけにベタベタってか!?(本当すいません)



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