[コラム]藤井えい子の「鬼の居ぬ間に箸休め」(2016/05)


「愛を乞う人」




じゃあ、おやすみ と言葉を交わした後、母は風呂を浴びに行った。
それを見送って、母の部屋を覗くと、風呂上りに備えてヒーターで温められていた。
冬の夜更けのことだった。


私は妙な気分になって、整然と畳の上に用意された母の布団に潜り込んだ。

呼吸をするよりも早く鼻腔に広がった香りが、私の胸をくすぐった。



これが、お母さんの匂いか



私は、その時はじめて母の匂いに出逢ったような気がした。





その夜、私たちはどういったわけだったか昔話をしていた。きっかけはよく思い出せない。


「あなたが19歳の時、このうちを出て行った時がこれまでの人生で一番寂しかった」と、母は言った。
そんなはずがないと、重厚な鉄の扉をゆっくりと開けるようにして、私は口を開いた。


母は弱かった。子供が漠然と信じていた絶対的な存在には程遠かった。
母は毎日泣き暮れて、父のところへ逝きたいと12歳の私に言った。
私は、罰が当たったんだと思った。
私と弟が二人、この三つの命は母を生かしてくことも出来ないのか。
幼い私たちにとっては、母だけが生きる術であった。
私たちは、自分自身が生きていくことについても、母に必要とされることについても、あまりに無力なのだと絶望した。
あの時がこれまでの人生で一番寂しかったと、私は言った。母にとってもそうであったに違いない、と。



あれから、あなたは、父親になったんやね



母は強かった、子供が想像できる程度の哀しみや苦しみ、それよりも遥かに大きなものと戦い続けたに違いない。
私の独り善がりな父親ごっこでは到底敵わないことを、未だ成人しないうちに知ると、必要とされることへの執着から逃れられなくなった。
家族に対して頑なであり続けながら、自身の非力さや愚かさを認め、他人に献身し、そして人を乞う弱さを自らに許すために、私は家族から離れる必要があった。
私は、父親をやめた。


「あの時、あなたは振り返らなかったよ」と、母は言った。


そして、続けてこう言った、「もう、甘えたらええんやで」と。






私は母の布団に潜り込んで、静かに泣いた。
母が風呂からあがっても、寝たふりを続けていた。



おかあさん、おかあさん、あたしにきづいて



襖が開く音とともに、母の笑い声が聞こえてきた。
私は母の布団から飛び起きると少しお道化て見せて、後ろ手で母の部屋の襖を閉めた。
冬の夜更けの事だった。

私はもう、母の匂いを忘れることができないだろう。