[コラム]藤井えい子の「鬼の居ぬ間に箸休め」(2015/12)


「奉還町にて」




寒さが和らぐのと時を同じくして、寂しさや所在なさも角をなくしていき、心地の良い春が訪れた。

暮らしのこと、心境や身辺の変化を記そうとしながら、心のままに筆を進められなくなり、残した言葉の破片がどんどん粘度を失って死んでいった。
気が付けば雨の季節も茹だる夏も過ぎ、眩しかった新緑たちも装いを変え紅葉した後、すっかり裸になってしまった…。
もう、歳も暮れに差し掛かっている。随分と御無沙汰してしまったものだ。


伴侶の生業の都合で、ハワイへ転居した詩人である友人が言った。
「ここはとても気持ちのいいところだけど、こんなにも太陽が燦々と輝く島で、詩なんか書けない」。
彼女は心穏やかで、その様子は幸福そうであるけれども、そのもどかしさを想うと、私たちに適当な居場所ないのかもしれないと、つくづく思う。


岡山は奉還町に暮らしを移して早十一ヶ月。
一言で言えば、心地の好い町である。
程度が過ぎるくらいに、穏やかで、ぬるい。





泣いて力尽きるのを待って眠る夜。
夜な夜な男たちに電話をかけては、それを勝手に心の支えだということにした。
何がそんなに哀しいのかと問われても、返す言葉がない。
言いたいことなど何もないのに、言ってほしい言葉を山ほど用意した。
派手に掲げた志しや、やり甲斐が曇っていく。
何処へ置いてきて、どのように取りに戻ったらいいのかわからなかった。
ただただ消耗していく毎日。
生活を操縦するために切らすことのできない数種類の薬。
身体が拒んでも、酒を注いでもらいに呑み屋の戸を叩く。
手に入らなかった愛情に、自身の愛情を注ぎ続けようとすることで、自分を慰めていた。



みんな、君に夢中になるでしょう

俺の好きな人は俺のこと好きじゃないんで、意味ないです

そう、私もおんなじ

好きな人、いるんですか



そう言って、私たちはぴたりと肌を合わせて、浅い呼吸を繰り返す。
繋がりかけた瘡蓋にわざと触れて、掘り返したばかりの湿った欲望で、感傷を呑みこむ。



「今まで、あなたに許されすぎて、えい子さんがどんな時に哀しいのか、もう、わからなくなってしまって」


なんて寂しいことを言うんだろうかと思ったけれども、それは私が悪いわね。

感情的な自分を曝け出してしまいたかった。
委ねたい相手にこそ、虚勢を張り続けた報いだった。
触れた体温に心の距離を測れぬまま、随分と長い時間を過ごしていた。





文字通り持てる荷物だけ持って、岡山へやってきた。余計なものがありすぎたのだ。


朝食を作り、通りすがりの旅人たちを見送って、部屋の掃除をし、近隣からの客人たちに珈琲を淹れる。
昼食を摂ったら、暫し昼寝。日が暮れる頃にまた店に立ち、疲れた旅人たちを迎える。
拙い英語でどんな旅をしているのか尋ね、常連客たちにはお決まりの酒を注いでやる。


朝起きて、夜眠り、自ら作った食事を中心とし外食は僅か、酒の量も減った、薬は必要なくなった。
毎日、国籍性別を問わず様々な人々と言葉を交わす。
テレビは持たず、パソコンに向かう時間もごく僅か。
本を読む意欲と時間が何故だか減退したけれども、その代わりにギターで遊ぶ時間が増えた。
電車や車に乗ることもほとんどなくなり、目の前の商店街でだいたいの事を済ませる。
“あそこんちのえい子さん”として、顔が知れ、すれ違う人たちと挨拶を交わす。
とてもとても小さな世界の中で、私は暮らしている。


さざ波のよう。
時折やってくる愛欲や肉欲をやり過ごせば、どうしようもない強迫にも似た止めどない寂しさや哀しさに、夜な夜な嗚咽を漏らすこともなくなった。


だけどもやはり、此処が最後の住処だとは思わない。
何処へ行きたいのかと問われると、答えは見つからないのだけど、此処ではない何処かへ行きたくなってしまう。
此処に居たくない理由があるわけではないのだけど、何かに追われるように、次の場所を探しているような。



「えい子ちゃんは特別でいたいんでしょう、だから、いつもまで経っても此処に帰ってこないんでしょう」


なによ、そんなナルシストみたいな と思ったけれど、その通りかもしれない。
背を向けておいて、「帰っておいで」という言葉を掛けてもらうことに安心したいだけなのかもしれない。
居場所を探す振りをして、居場所から逃げて回っているみたい。
もうお終いって言われるのが怖いのね。


ただいま と言ってしまえば、
ただいま と言ってしまえば、


出ていくことよりも、帰ることの方が勇気がいるとは思いもしなった。
頑なでいられなくなった時、自分を支え、守るものとは何だろう。


それがもし、他人の愛情や献身であるとしたら、どうしよう。

想像するだけで今、やはり途方もなく寂しい。





この一年、仮の住処に身を寄せていたのだけども、少々悩んだ末、岡山に部屋を借りてしまった。
誰に頼まれたわけでもないけれど、もう少し、この町に居てみようと思った。
自分の暮らしを営んでみようと思った。


まだ、次の町が見つからない。決められない。


契約金を振り込んだ帰り道のこと。
何かを捨てたわけでも、諦めたわけでもないのに、晴れやかでもなくて、どことなく寂しくて、ふと花屋に立ち寄った。


「何かお探し?贈り物ですか?」
「いいえ、部屋に飾りたいだけなんだけど」
「何にしましょうかねぇ」
「この薔薇、華やかでかわいいですね」
「うんうん、何と合わせましょうか、マーガレットとか、…とか、それか…」
「マーガレット、いいですね」
「そうね、かわいいわね」


「あ、やっぱり、その薔薇をやめて、この紫のトルコ桔梗にしてください」


ショッキングピンクが鮮やかな、その薔薇、やっぱり照れくさいな と思った。
マーガレットは愛らしい容姿に反して、香りにはキク科特有の粗暴さがある。
なんだかアンバランスさが人間らしく、そしてその様がほんの少し憎たらしいなと笑った。
主役とも脇役ともし難いトルコ桔梗のつましい美しさが、しっくりきた。


五百円を支払い、部屋に帰って、小さな花瓶にトルコ桔梗とマーガレットを生けた。
つましく、可憐に暮らしたいと思った。誰かに傍にいて欲しいとも。
それから少し、昼寝をした。