[コラム]理非不知の「鬼の居ぬ間に箸休め」(2014/12)


「沈黙」



ある男が言った。
「お前の場合は、“雄弁は金なり”やな」

思いがけない言葉であった。
長年に渡って男と女でいても、語り合わないことの方が多いものである。兎角その男の前では、沈黙を金としてきたつもりだったが、彼は私が努めて押し黙ってきたことに、いつからか気付いていたのだろうか。
「お前は言葉にするのがうまいから」
いつからそんなことを思っていたのだ。
彼に対する自らの振る舞いと彼が見てきた私の相違。頑なでいたつもりの自分が、一瞬で所在をなくした。それは、ほのかな安堵と言い換えても可笑しくなかった。

その男の口から私のことが語られるのは極めて稀なことで、特に褒めたり、認めたり、労ったりするようなことなど、十年余りにおいて片手で足りるほどであった。


「私、東京に行く」
「どうして」
「決めたの」
「勝手にしろ」
それきり、互いに背中を合わせたまま、私たちは沈黙した。



よく晴れた初夏の夕暮れのことだった。
「お前、東京に出て何年になった?」
「年が明けたら七年」
ぐるぐると廻り続ける電車に揺られて、見慣れない景色に目をやりながら、私たちはぽつりぽつりと言葉を交わした。
「七年か。……頑張ったな」
ふたりは体の正面を向かい合わせて立っていた。視線は、車窓に向けたまま。
これまで、挫けそうになる度に待ち望み続けた、たったひとつの“おかえり”を聞くよりも早く、唐突な労いの言葉が私の琴線に触れることとなった。
七年の間に縺れに縺れた糸が緩んでいく。


この男が言うように私にとって、雄弁が金であるなら…


明日なんてなくていいから、今日だけは君の顔をきちんと見て話がしたいわ
それも気が付いたら昨日のことになっていって
それを繰り返して
性懲りもなく、また泣いて同じことを違う誰かに懇願する
それを繰り返している

それでも破いたカレンダーよりも残されたものの方がずっとずっと多くて
果てがないようで恐ろしくて、やっぱり君のことを思い浮かべたりして、日々の消費に充てている


逢えたら何を話そう
無意味に悩んでいる

やはり、沈黙に溺れるのかしら。