[コラム]いおかゆうみの「ちぐはぐな日々。」(2014/08)
前々回のコラムに書いたとおり、初盆のために今月は徳之島へ行っていました。台風の影響で飛行機が欠航になり、予定より二日遅れての出発。飛行機やら船やらで1日かけて徳之島に着いた。
港にはたくさんの人がいて、けど不思議とすぐにおじいちゃんを見つけられた。首には水色のタオル、白いカッターシャツに黒いスラックス。目に入った瞬間にグッと涙が出そうになった、早いわ、と自分に笑った。
おじいちゃんは会うとすぐにうちの手を握った。おじいちゃんは大阪で咽喉ガンの手術をした。その直前にも手を握った、その時と同じ強い力。
おじいちゃんの家は風も入らず、暑かった。
おじいちゃんはクーラーが嫌いやのにうちのためにすぐつけて、何も言わずにいつもの椅子に座った。そこは亡くなったおばあちゃんがいつも寝ていた場所。
少し休憩してからおじいちゃんの畑へ初めて行った。かぼちゃ、ドラゴンフルーツ、ゴーヤ、サトウキビ、ピーマンなどたくさんの愛が溢れていて、山の上にあるそこからは海がキラキラと光るのが見えた。
おじいちゃんの畑で採った野菜を使ってご飯を作る。おじいちゃんはたくさんお酒を飲む。「奄美」っていう黒糖焼酎かビールを飲む。うちにもついでくれた、美味しくなかったから変な顔してたらそれが面白かったらしく、ずっと飲ませてきて、真っ赤になったうちを笑った。
声帯がないので機械を使わな何て言うてるかわからんくて、なかなかおじいちゃんの言葉が伝わらんくてもどかしかった。おじいちゃん、ごめん。と何度も思った。
夜、お母さんと海へ行った。月が大きかった。
おじいちゃんの朝は早い。5時には起きるから、自然とごじはんには目を覚ます。朝ごはんを食べて、おじいちゃんの畑へ行った。
この日からお盆の始まり。おじいちゃんと伯父さんが神様を呼びにお墓へ行った。その間、うちとお母さんといとこは家でお留守番。神様たちがおじいちゃんたちより先に家に着いてしまったら寂しいから、家にいときなさいとおじいちゃんが言うてた。お昼寝してたら、おじいちゃんが帰ってきた。
うちは、ギターを持って行ってたから、おじいちゃんに歌を歌った。聴いてへんかったと思うけど。それでもいいやって思った。
夕方は島ぞうりを買うためにいとことお母さんと島の色んな店を周った、意外に置いてなくて、ホテルのお土産コーナーにあると思ったら高くて買えんかった。雨が降ったりやんだりの日やった。夕方になって、おじいちゃんのボロボロの自転車に乗ってひとりで海へ行った。貝を拾った。小さい頃はこんな風に一人で出歩けんかったのに、ああ、大人になったんやなあと波と風と鳥の鳴き声の中、思った。そんで頭の中は大阪におると何も変わらんくて、悩んでることも考えてることもどこにもいかんなあと思っていたらいきなり土砂降りの雨。廃れたカラオケの屋根で雨宿り、迎えにきてもらって、なんとか帰れた。夜はまたおじいちゃんとお酒を飲んだ。
朝になってお母さんと川沿いを散歩した。
水切りをしてる男の子たちがいて、そういえば、うちもこの川でいとこたちと水切りしてたなあ。懐かしくて、苦しかった。匂いや音だけで思い出せるものの強さったら。
この日は大阪のいとこたち7人が一斉にやってきて、あっという間に騒がしくなった。チビはずっとうるさいし、誰かしら怒ってるし、誰かしら笑ってた。
島の色んな人が挨拶にきてくれて、ちゃんと初盆やってこと覚えててくれて、なんだか嬉しかった。おばあちゃんがおらんくなってしまっても、忘れられていくわけじゃないんやなあと来る人来る人に教えられた。
みんなで島を半周した。おじいちゃんはひ孫たちがいて嬉しそうやった。孫は子どもより可愛いって笑ってた。
夜は初めて闘牛へ。おじいちゃんは闘牛が嫌いらしく、馬鹿らしいから行かんって家におった。迫力が凄まじく、小さい島からほんまにたくさんの人が集まっていて、勝った牛のチームは歌って踊って、それを見るのが面白かった。忍耐強さと使命がそこにあった。感動したけれど、やっぱり牛は痛そうやったし、しばらくはええや。観れてよかったけど。
島唯一のファミレスで晩御飯を食べて、家に帰ったらおじいちゃんと腕相撲をした。おじいちゃんには勝てんかった。83歳になっても男やった。おじいちゃんまた5年後勝負しようなって言うたら、85歳まで生きてるかわからんって言うてて、その顔があまりにも悲しそうで、「何言ってんの!6年後の東京オリンピック、一緒にいくんやろ!」って言うたら笑った。そしたらスクッとおじいちゃんが椅子から立ち上がって、お仏壇の写真を撮り始めた。「今から写真を撮りますので、どうか出てきてください」と手を合わせて写真を何枚か撮った。電気が一瞬消え、柱につけてた小さい鏡が揺れ、うちの携帯が圏外になった。おばあちゃんがおじいちゃんに会いにきたんやなあと思うとこわくなかった。
夜中、次の日のためにおじいちゃんが豚バラを茹でて、お母さんがごぼうを炊いてた。
うちもはよ起きて手伝おうと思って、6時半に起きたらもうお盆の用意は全部終わってしまってた。ねぼすけっておじいちゃんが笑ってた。ゆうみはよう寝るねえって笑ってた。
朝ご飯食べて、いつも通り畑へ行った。空が青くて気持ちの良い朝やった。
夕方、お墓参りへ行った。あんなに晴れていたのに、多くなっていく雲。お墓の前にブルーシートを敷いて、たくさんのお酒とジュース、おかずがギュウギュウに詰められたお重やお餅を並べていく。あとはもう好きなようにはしゃいぐだけ。一歳年上のいとことおじいちゃんとお酒飲みながら(おじいちゃんにバレへんようにもう飲まれへんわって言いながら)楽しく過ごした。うちんとこのお墓が一番人いっぱいおって、それだけでおばあちゃんが喜んでる気がした。
そのうち小雨が降り出した、そういえば、納骨の時も雨が降っていたことを思い出した。1月の雨は冷たくて、海も他人のような顔をしていたけど、この時の雨は優しかった。海だって笑って島のみんなを抱きしめているようやった。
台風の島やけど8月15日に台風が来たことは一度もないとおじいちゃんが言ってた、神様がたくさん帰ってきてるから、 台風も来られへんのやと空を指差してた。
最後にお線香をみんなであげて、おばあちゃんにありがとうを言うて車に乗り込んだ。徳之島に住んでるいとこの家にみんなで行こうとしたけれど、おじいちゃんはどうしても自分の家に帰りたいと言い出した。歩いてでも帰る、と。おばあちゃんが一人やったら悲しむ、と。うちはおじいちゃんが悲しくないように、なるべく側にいたけど、なんとなく一人にしてあげようといとこの家へ行くことにした。
おじいちゃんはおばあちゃんを愛していた。
おばあちゃんはうちが生まれる前から体が動かず、いつもベットの上にいた。そんなおばあちゃんをおじいちゃんらずっと看病してきた。リハビリの先生にマッサージを教えてもらって、毎日毎日欠かすことなくおばあちゃんにマッサージをした。オムツも変えて、ご飯も作った。おじいちゃんはおばあちゃんが入院してもなるべく早く退院させた。のも老人ホームに入れんかった、自分の側にいてほしかったんやと思う。
初盆やから盆踊りにも行けへんうちらは、叔父さんがカラオケへ行こうというので、みんなで行った。おじいちゃんは声がでえへんので、うちらの歌を聴いてただけやった。うちが歌うのを見て「楽しそうに歌うねえ」ってほっぺたを撫でた。おじいちゃん、うち、自分のうたもたくさんあるねん。
おじいちゃんは途中で帰った。
家に着いたらもう寝てた。おじいちゃんは寝巻きにも着替えずにそのまま寝る。白いカッターシャツに黒いスラックスで。
せっかくおじいちゃんの言葉もわかるようになったのに、明日で帰るんやと思うと、寂しくてしょうがなかった。隣に寝てたお母さんに抱きついて眠った。
最終日はみんなで全島一周した。
雨は相変わらず降ったり止んだり。
ソテツトンネルをくぐったり、大きな岩だらけのムシロ瀬を歩いたり、犬の門蓋という犬の骨がたくさん埋められている場所へ行ったり、戦艦大和の慰霊碑へ行ったりしました。なんというか、どこも火曜サスペンス劇場の舞台みたいで興奮した。高い岩場から海を見下ろすと吸い込まれていきそうやった。
夜はえりなお姉ちゃんと二人でご飯を食べにいった。
えりなお姉ちゃんはお父さんの違うお姉ちゃん。
お母さんは二回結婚していて、前の旦那さんとの間にできた子ががえりなお姉ちゃん。(ちなみにうちにはお母さんの違う兄弟もいる)
えりなお姉ちゃんが自分のお姉ちゃんやと知った時、とても嬉しかった。綺麗で優しくて、あんな人が自分のお姉ちゃんやなんて、と。二人でご飯を食べたのは初めてで、新鮮で楽しくて少し緊張した。10歳年上やのに、お姉ちゃんはとても可愛らしい人なんやと、向き合って初めてわかった。
お葬式の時にはあんまり話せんかった。
お姉ちゃんはお姉ちゃんなりにお母さんにもうちにもきっと思うことがたくさんあるんやと思う。お母さんを奪ったとか、そんなつもりはないけど、実際、お姉ちゃんはお母さんと過ごさずに生きてきた。
それやのにお姉ちゃんはいつもずっと優しかった。
ゆうみは私の妹やから何でも話してねって言うてくれた。
ゆうみなら寝てる時以外ならいつでも話し聞くよって言うてくれた。
うちは、一人じゃないんやと、こんな遠くの場所でも愛されてるんやと思っては今、涙が出る。
それはおじいちゃんだってそう。
ゆうみは必ず連れてこいと何度も何度もお母さんに言うて、
ゆうみはまた来年の夏も来るやろと何度も何度もうちに聞いてきた。
真夜中に船は徳之島を離れた。
おじいちゃんが大きく手を振ってた。
お姉ちゃんは泣いてしまうから見送りにはいかれへんと言ってた。
どこへ行っても、悩みも考え事もあの人やあいつのことも頭の中から消えてなくならんかった。あの島へ置いていけると思ってけど、そんなことなかった。うちはどこへ行ってもうちで、変わらな何も始まらんのやと船の上で思った。
そのうち朝日がやってきて、
船に乗って33時間後、大阪に着いた。
迎えにきたお父さんを見て、
ああ、この人にもまた愛されてるんやなあと思った。