国吉亜耶子and西川真吾Duoインタビュー

画像(国吉亜耶子and西川真吾Duo)

国吉亜耶子and西川真吾Duoインタビュー


昨年5月リリースのセルフタイトルのフルアルバム「国吉亜耶子and西川真吾Duo」から、1年未満で4月24日にリリースされた最新作「RECORD」。二人の音楽が記録されている、ということであり、その音楽には二人の中に刻み込まれてきたものが記録されている。それは一体何なのか、少しでも近づいてみたくてお話を伺ってきた。

——今回のアルバムもめちゃくちゃ良かったです。約1年ぶりということですが、お二人ってライブもかなり多い印象で、僕の中でも「いつ制作をしているのか不思議なミュージシャン」の上位なんですよね(笑)。

国吉:本当はあんまり曲を作るということを意識せずに、生活している中で生まれてくるほうが理想ではあるんですが、やっぱり曲を増やさなきゃなあとか、次の作品がいつ出るとか期限が決まってなかったとしても、作りたいっていう欲求が高まった時には、例えば今回CDに入れたうちの3曲は、前回のツアーが終わってからワンマンとの間に1ヶ月ぐらい時間があったので、その間に埼玉と群馬の境目ぐらいの所に2泊3日ぐらいで合宿に行って、ずっとスタジオに入りっぱで、みたいなことはするかなあ。都内でも一日中スタジオにいるとか。

西川:24時間ぐらい普通にいますね。結構メリハリじゃないですけど、やる時にガッとやって。

——作るモードの時にスイッチ入れてって感じですね。そのワンマンの時も新曲やってましたよね。その時に新曲が3曲ほど聞けたことで、「あ、新しい作品が出るのかな」みたいな予兆にも感じて嬉しかったですね。

西川:ワンマンの時には、完全ではないですけど大まかには今作リリースまでのスケジュールはたってましたね。

——今作はタイトルが「RECORD」。1曲めが「レコード」で最後の曲が「遺伝子ヒストリー」で、RECORDって音楽を聞くメディア・媒体という意味と、単純に記録っていう意味もあるなあと思って。

国吉:記録ですね。

——僕それは、遺伝子ヒストリーを聞いてて思いましたね。あ、「記録」なんだなって。”過去からのメッセージ”っていう歌詞を聴いた時に。今作の歌詞で、国吉さんの歌詞ってパーソナルな内容をベースに書いてらっしゃるんだろうなと思いつつ、取りようでなんとでも解釈できるなとも思います。

国吉:大枠は気にします。細かいことは結構どうでも良くて。ただ、曲の中でのテーマは1つだけ決めて。誰かしら一度でも思ったことがあるだろう、これからかもしれませんけど、ターゲットを考えた時に人間なら生きてれば必ず通りそうな感情を、自分の中で咀嚼して咀嚼してって感じですかね。

——例えば「君」っていう二人称をそのまま受け取っても成り立つし、差し替えてもその人なりにフィットするなと。

国吉:人によってはそうですね。恋愛の歌と思う人もいれば、兄弟の歌と思う人もいて。生きている人かもしれないし、死んだ人のことかもしれないしとか。

——僕の中ではお二人は、すごく「繋がること」とか人との出会い、一期一会を大切にされてるという印象なんですが、そういう部分も遺伝子ヒストリーには強く出てるなあと。今まで自分が見聞してきたものが美しいものだったというような表現をされてることが多いなと思ったんですが、繋がりを大切にされている方がそういう表現をされていると、出会った瞬間に、逆にその終わりを感じちゃったりするんじゃないかと勘繰ったりしちゃったんですが。

国吉:誰かにとって、凄く特別な存在になることっていうのは幸せでもあるけど、やっぱり必ず別れはやってくるわけで。男女間の別れならまだいいんですけど、死ぬっていうことが絶対あって、毎日死に近づいていってるわけで、それは結構考えてるかもしれないですね。自分がおばあちゃんを亡くした時に、2〜3年ぐらいずーっとずーっと引きずってて、悲しくて悲しくて。それは大切に思っていた気持ちが大きかったが故にそういう事になったんだなと思うと、誰の大切な人にもならないほうがいいんじゃないかと思ったこともあります。

——M10「お別れのうた」の「私をなるべく早くに忘れてね」みたいなことですかね?

国吉:あれは結果的にはそうなんですけど。「お別れのうた」はおばあちゃんじゃなくて、おじいちゃんの事だったんですけど、お葬式の時に感じたことをそのまま「お別れのうた」っていう曲にしたんです。おじいちゃんが亡くなったことがきっかけで懐かしい人が集まってきたり、なかなか会えなかった人なんかに会える機会ができたことが、最後のプレゼントみたいに感じたんです。おじいちゃんが生きてきて作った最後の世界というか。新しい出会いをもたらしてくれたっていうか。

——おじいさんが最後に見せてくれたものということですね。

国吉:この人はこういう生き方をしてきたんだなあと。「これからは自分はいないけど、君たちで上手いことやってくれよ」みたいに感じました。自分も死ぬ時はこう思って死にたいっていうことですね。嫌なことからの方が得るものが多くて、私の場合は。何かをAとBから選択するタイミングでAを選択した場合、何かに直面した時にBにしておけば良かったと思うことはあって、でも結局このまま進めばあの時Aにしておいて良かったなって思えるように、うまい事できてるんだろうなって思うので…。全部が美しくって取りたがってるだけなのかもしれませんけど。

——なるほど…。おじいさんのお話のように、そういうメッセージが脈々と繋がっていくというのは、僕も最近すごく感じるので、かなりタイムリーに響きました。



——お二人の歌ってポップでキャッチーなメロディが乗っていても「ポップス」とは少し違う気もするし、西川さんのドラムがガッてパワフルだからといってロックっていう事でもないように思います。結局これは「みんなのうた」だなあって思いまして。それは前作がセルフタイトルだった時も少し感じていて。お二人的にそういう概念とかはありますか?

国吉:人によってですね。ポップって言う人もジブリみたいだっていう人も。パンクっていう人もいれば、ハードコアだっていう人もいますので(笑)。人それぞれ、みなさんの中でのカテゴリーにはめてもらえばいいかと。だから逆に、曲を作る時に対象を「人間なら」ってしたのもあります。例えば難しい言葉じゃなくて、だれでも分かる言葉にしようとか。

——それめちゃくちゃ思うんですよ!

国吉:あんまり難しい漢字を並べても私が分からないっていうか(笑)、そんなに私が本を読むのが好きじゃないのもラッキーだったかもしれないですね。わからない言葉が出てくると、いちいち調べちゃって進まないので。そういう意味では言葉をあまり知らないので、誰でも知っている言葉しか使えないだけなんですけど。

——興味深い歌詞を書く人って、違う角度から切り込んでくるんで、普段会話で使わないような言葉を使う人も多いと思うんですけど、そうじゃないですよね国吉さんは。「ちゃんと意味を知らない」言葉が出てくる訳じゃないという部分も聞き手を狭めてないなあと。

国吉:それはまさに、さっきおっしゃって頂いた「みんなのうた」っていうのがそうで。私が中越地震の時に新潟にボランティアに行ったことがあって、その時に小さな子どもたちが例えば「ふるさと」とかを言葉の意味をすべてわかってる訳じゃなく歌っている、一生懸命歌っているだけで、おじいちゃんおばあちゃんはその人たちの思うふるさとを思い出して泣けるっていう光景が、その楽曲そのものが持つパワーってほんとうに素晴らしいなと思って。童謡っていうのはキーワードの中にあって、あまり複雑にせずに、簡単な言葉っていうのに繋がるのかなと。「みんなのうた」と言ってもらえたのは凄い嬉しいなあと。

——いたずらに難解にすることはない、と。

国吉:あえて言葉遊び的にやることは、これから先にあるかもしれないですけど、自分が普段使わない言葉をメロディに乗せた時に歌いきれる自信がない、表現できないっていうか。まず覚えられないと思います(笑)。

——特定の誰かへのディスとかではないですが、音楽的にちょっと小難しいことしてみようぜ、的な風潮もあったりはしますしね。

国吉:一曲を大事にしたいですね。最近、街で流れている曲を聞いて思うのは、サビしか知らないっていう。着メロとかCMの関係かもしれませんけど。ちょっと前までは、もっと(曲全体を)わかってた気がして。そういうのは嫌だなあと。

——前作がリリースされた時にも思ったんですが、お二人の曲ってイメージ的には「大きい」なあと。「地球」みたいな。で、国吉さんが女性なので、やはり女性的な繊細さや美しさとか、西川さんは男性らしさ力強さとかの担当というか、コンビネーションかと思ったりしたんですが、聴けば聴くほど、実はお二人それぞれ両方持ってますよね(笑)。

国吉:実際、私は大雑把で西川が繊細だと思います。

西川:そうですね、きっと。

国吉:私は1大丈夫なら、99はまあいいじゃんっていう。

——一般的にいう性別的な特性と性格とがあべこべになってるという…

国吉:そうかもしれない(笑)。

——さっきのロックとかポップとかっていうのもありますが、西川さんはドラムプレイでは良い意味で全然遠慮ないですよね。それはやはり国吉さんだから、ですか?

西川:それも他の人と比べれば、国吉だから思いっきり出来るというのはありますけど、失礼だと思うんですよね、国吉に対して。聴いてくれている人たちにも多少思いますけど。なんて言うんだろ、例えば譜面を見ながらやってるのって、凄く失礼だと思っていて。音楽に対してもですけど。命をかけてやる、ではないですけど、そうやんないとダメなんですよね。そういう気持ちになっちゃうんですよね、音楽をやる時って。だから他の人にサポートを頼まれても全然出来る気がしないっていうか。サポートドラマーとして頼まれるとやっぱり難しくて、「西川さんを出してください」って言われるとガッてやってダメならダメで受け止められるんですけど。ていう部分で、思い切りやらないと国吉に対しても音楽に対しても失礼だし。自分の想いっていうのがこんなんでは伝わらないっていう感じですね。

——国吉さんとなら、自分を自然に出しても大丈夫ということですね。それは国吉さんも?

国吉:そうですね。私は逆にガンガンやってる方が好きというか。

西川:そこが一致しているんでやっていけるっていうか。ステージに立って手を抜くなよってお互いが思っているので。

国吉:言ったらそこだけなんですけど(笑)。一生懸命やりますっていうだけなので。だから、できることもあれしかないんですけど。

——繋がっていくこととか繋げることとか、この音源を聞いて一番感じたことだったんですけど、それは初めて僕がお二人に接してからずっとミュージシャンとして大切にされてることなんだろうなと思っていた事なので、いまのお話もとてもその印象と繋がりました。

西川:ライブって、もちろん歌も聞いているし歌詞も聴いてるし、ドラムもピアノも聞いていると思うんですけど、なんか僕は顔しか見られてないんじゃないかって感じることが多くて。絶対顔でしょって思うんです。幼稚園児とかが一生懸命やっている運動会とかって凄いんですよ。必死で顔をぐちゃぐちゃにして走ってる姿って凄いんですよ。お父さんの綱引きを応援してる姿とかも。それを、どうしても大事にしたいし、見てる人もそれは絶対あるだろうと思っていて。顔ぐちゃぐちゃでもなんでも全力でやってれば伝わるでしょって感じです。

——お二人はライブでも表情豊か、ナチュラルだなあと思います。で、今作は前作以上にお二人以外の音がとても増えて、ここまで来たかって感じもあったんですが、ライブだとお二人でステージに上るわけで、曲によっては「これベース重要だなあ」「アウトロのギターめっちゃいいな」と思う曲もあるんですが、そのあたりはいかがですか?

国吉:特にこだわりはないというか。全くないと言うとちょっと違うんですけど、もちろん二人がライブでやっている雰囲気だとか感覚だとかっていうのは、そのままの表現にちょっとプラスアルファしたぐらいだと変わらないと思うんですよ。前作は二人がライブでやっているのを聴いて、CDと全然違うっていうのがない程度の音の足し方だったんです。

——確かにそうですね。

国吉:人間の視覚って凄いと思っていて。さっきの顔を見るじゃないですけど。だけど耳だけで聞くと、自分たちで作った時もそうだったんですけど、歌とピアノとドラムだけでは全然成立していなかったんですね、私の中で。ライブでは補える何かが絶対あって。それは空気感とか、表情とか、聞いている人の心境とかも。音源にする上では極力他の楽器も入れたいっていうのはあります。今回は曲によっては再現不可能なのもあるなと思ったんですけど、そこにこだわってしまって、楽曲が求めている一番良い部分を損なう事自体が…、なんていうのかな…。私が親で曲が子供だとして、この子はこういう風に育って欲しいと思っても、それが子供にとって幸せとは限らんぞ、って事ですかね。もう発表する時点である程度は手を離れたものだと思ってるので。それはライブでも二人でやっているので、私はこっちのほうがいいなと思っても、西川が良いと言っている方にすることもありますし、それの延長線上というか。

——究極的には、国吉さんが曲を作った時点で全部のドラムを指定するようなことじゃないと。「西川真吾」のドラムが入る時点で、国吉さんの手をある意味離れたってことですよね。

国吉:あ、そうですそうです。人が入るってことは、その時点で自分だけのものじゃないと思うので、西川真吾っていうドラマーと一緒にやっている以上は。そこに意味が無いのなら、私が1人でパソコンでやればいいじゃないかってなりますし。例えばギターを入れてもらっても、「これ良い!」って思ってOKにしたので不満は全然ないです。ただ再現できなかったとしても、曲として聴いた時に良ければいいじゃないかと。二人だけのスタイルに拘るのは、先のことを考えた時に足を取られる気がします、可能性としては。

——アレンジの上で音が増えて、お二人の中で一度完成、形になったバージョンと音源のバージョンを聴いて、自分たちが思い描いていたものとまた違う完成図を見て、楽曲そのものの成長力に驚いたりとかもありますか?

国吉:あ、それは面白いです、やっぱり。へー!って思います。単純に、服を着せ替えたら凄くイイじゃん!みたいな。嫌だったら嫌って言うので。

——そういう流れなら、ぜひ一度フルオーケストラでライブを見たいですねー!

国吉:フルオーケストラで演るのが夢です。指揮をしながら。全員を従えて歌いたいです(笑)。

——指揮のシーンは「遺伝子ヒストリー」のPVの中でもありますよね(笑)。



——このアルバムを通して聴いて、最後に遺伝子ヒストリーがあるのが素晴らしいなと思って。そんなに難しい言葉は使ってないとさっきもおっしゃってましたけど、その中でもよりダイレクトな歌詞だと思って。わかりやすい言葉の中にも含みがある中で、遺伝子ヒストリーは深みがないという意味ではなく、よりシンプルというか。聴き終わった時に凄い爽快な感じでしっかり完結してるなと思ったので、これはそもそもそういうコンセプトで最初から作ってらっしゃったのかなとまで思ったんですが。

国吉:そういうわけではなくて(笑)。ただ始めと終わりの曲順は決めてました。間にはそれ以外の日常ではないですけど、そういう感じで。

——この音源がリリースされて、またツアーはたくさんの場所に行かれますよね。本数も単純に多いと思いますし。そこに意味があるかないかだけじゃなくて、意味は自分たちで作れるかどうかっていうのを重視されている感じも受けました。お二人はその場所だったり、そこで出会う人だったりとかと繋がっていくことを大切にされてるのは昔からですか?

国吉:やっぱり距離はそれぞれですけどね。同じ3回めの共演でも仲良くなる度合いは違いますけど、私は1度共演した人は忘れないですね。

——国吉さんの異常な記憶力は以前ライブ中のMCでもされてましたよね(笑)。去年ですが、2度ほど、大阪東京の距離でオファーを受けるには、一般的になかなかタイミング的に厳しいライブでも大阪まで来ていただいてましたよね?

国吉:演りたいって思うからですかね。物理的に無理なことももちろんあるんですけど。可能であればやればいいと。演れるうちに。

西川:結局、お誘いをしてくださる人の気持ちのみですね。もちろん僕らがお誘いを受けて演りたいって思うのは気持ちが伝わったからなんですけど、相手の気持がなんて言うか、口だけじゃないというか。僕の第六感かもしれませんけど(笑)。

国吉:言ったらそこだけな気がします。本当はダメかもしれませんけど、お客さんが10人いても100人いても、5人だとしても、私達を呼んでくれた人が喜んでくれてなければ、あんまり意味が無い気がしてる部分はありますね。

西川:相手の気持ちが強ければ強いほど緊張感は高まりますね。呼んでくれた人のために絶対良いライブしようぜっていう。もちろんお客さんのことも考えますけど、呼んでくれた人にどういう気持ちを返すかっていう。

国吉:例えばFireloopでライブをしてCDが20枚売れた。めちゃくちゃ良いライブだったのかもしれないけど、野津さん(Fireloop代表)が納得してなければなんの意味も無い。私はそれだけでやってきたって感じですかね。そこは絶対にライブ出来る場所がないとと思っていて。

西川:いつかライブハウスからも呼ばれなくなる日が来るから、呼ばれてるうちは出来る限り全力で思い切りやろうぜって。どうせ飽きられて呼ばれなくなるし俺達なんて、って感じですかね。

——いやいや、あり得ないでしょう(笑)。

西川:本数的にはもう慣れっこですし。

国吉:多分なんですけど、ライブ本数はやり続けてるほうが楽なのかなあと。一週間空いたりすると不安になります。

西川:やり続けてるほうが楽だね、絶対。

国吉:生活スタイル的に。ポーンと空くと、あれ?どんなんだっけって勘が鈍ります。

西川:勘が鈍ってる感じが自分でわかるんで不安になるんです。

国吉:どこかで声が出なくなるんじゃないかというのもめちゃくちゃ不安ですけど、喉が痛くても歌えなかったことはいままで一度もなかったので。

西川:去年、前作のリリース日の次の日のライブが四谷で1時間ステージだったんですけど、その日の朝には歩けないぐらい体調を崩していて、でもライブは普通に出来ましたね。

——でも僕は、スケジュール的に疲労はあるだろうなと想像できても、今までお二人から「疲れてるんです」とか「忙しいんです」みたいな空気が出てるのは見たことないですね。僕がお二人のライブを見に行きたいなと思うのは、もちろん音楽が大好きなのと、そういう悲壮感というかネガティブな印象を受けないっていうのもあります。

国吉:集中力だけですかね。やってる間はずっと。それができなくなったら辞めようと思います。手を抜くではないですけど、ペース配分は大事だと思いますけど、気持ちがですね。そうなったら、そこまでしてやりたくないし、人前で見せたくないし、辞めます。断言できます。私が気づいてなかったら誰か教えてってぐらいですね。あと、感謝できなくなった瞬間に辞めようってずっと決めてます。来てくれた人、聴いてくれた人に対して。逆に言ったら、一生やってくかやってかないか、ずっと音楽に携わっていたいとは思ってますけど、音楽がないと生きていけないとは思ってなくて、辞めることに対しての恐怖とかもあんまり感じていないというか。いつでも辞められると思っているので、やっている間は一生懸命やろうと。

——いろいろ良いお話を聞かせて頂けました。CDから入った方も、すでに長いファンの方も、この記事を読んで頂いてまたお二人の音楽に触れて頂けるといいなと思います。ありがとうございました。

国吉:西川:ありがとうございました。


画像(国吉亜耶子and西川真吾Duo)

国吉亜耶子and西川真吾Duo

ピアノと歌とドラムだけというシンプルなスタイルだが、3つの音とは思えない程の迫力、壮大さ、独特の世界観がある。
国吉の人の心に景色を描かせる歌。
西川のドラムはその景色の風になり、雨になる。
2人の心の音は人々が忘れかけた想いに訴える。
(オフィシャルサイトより)


インタビュアー:野津知宏(Fireloop/ASR RECORDS)


2013/06/12
WED@Fireloop

ASR RECORDS presents
Crimson Ballroom 66
国吉亜耶子and西川真吾Duo
"Album Release Tour 〜RECORD〜"

国吉亜耶子and西川真吾Duo(東京)[PV]
水、走る / root13.[PV]
Ain Figremin / ラウンドヘッド
教祖☆Fancy クラブ
[Food]堕天使かっき〜

open 17:30 / start 18:00
前売1,800円 / 当日2,300円